「人生のステージが変わった」

暖かい気候が続き、春を感じる日々。このまま夏に向けて季節が加速していく予感がします。

「ワクワク系かもしれない」

村田信之先生はイマココをそのように話します。

昨年2020年、東京から岩手に移住された村田先生。東京で授業を行い岩手に戻る、3.5日東京で3.5日岩手の二拠点生活をされています。

「人生のステージが変わったなと思う」

移住されたのは昨年の8月。移住してしばらくは東京の仕事も多く、仕事の量的には変わらなかったといいます。

しかし、釜石での集まりに顔を出していく内に、次第に「一緒にやりましょう」と声をかけられるようになったそうです。

「いわゆる稼ぎの仕事ではなく、地域でのお役立ち役などの務めの面も増えてきてね」 

絵具をパレットに並べて混ざってきた感覚、と村田先生は話されます。

「これは大変だぞと(笑)、元々あまり働きたくない性格で、17時になったらビールをプシュとしたくなるから(笑)」

そう笑います。


ワクワクにはもうひとつ理由があります。

大隈塾での挑戦です。

大隈塾とは田原総一朗さんを塾頭に、早稲田大学のリーダーシップ講座として2002年に開講された授業。

講義とゼミの基本的な枠組みは変わらないものの、運営方法や体制は年々変化をしていっています。

現在は「たくましい知性を鍛える」という科目名で、ゼミ生やTA(Teaching Assistant)・SA(Student Assistant)の方々が中心に運営されています。

2020年、新型コロナウイルスの流行に伴って、大学自体多くの対応が迫られ、大隈塾でも様々な変化や挑戦があったといいます。その中で、大隈塾として軸にあった考えは、”制約の中で学びを最大限にすること”でした。

「”やっちゃダメ”と言われたらやらない。ただ、”やっちゃダメ”という制約の中でどれだけ自分たちのことを出せるのかが大事だなと」

村田先生は続けます。

「リーダーシップを身につける、たくましい知性を鍛える、しなやかな感性をはぐくむ。この三つをどれだけ制約の中でできるかを考えている」

その上で状況に合わせていくのが大事だといいます。

「対面でやることになったので、今は対面。もし学校が対面やっちゃダメという制約をしたら、受け入れなくてはならない。ただ、学校が対面をやっていいという間は受け入れる」

不安なこともあるけれど、乗り切ったらすごいことになる、そう話します。

※2021年4月のインタビュー時点の状況です

(「たくましい知性を鍛える」の授業)

俺が一番学んでいる、学ばせていただいている


今まで多くの学生が受講しては巣立っていった大隈塾。

大隈塾での学生達との関わり合いを通じて、村田先生自身も様々なことを学んでいるといいます。

この前も学びを実感する出来事がありました。

大隈塾での新学期の授業に向けて、SAたちがMTGをしていたところに、去年のSAの方が来てくれたと言います。その議論の様子を見て、去年のSAの方がある言葉を告げます。

「議論を見ていた去年のSAの人がホワイトボード使わないんですか?と言ってね」

今のSAたちはオンラインの会議に慣れているからGoogleドキュメントに書き込んですすめている。一方で、ホワイトボードで図式化しないため、空中戦になってしまっていたのです。

「再度その子がぼそっと、ホワイトボード使ったらと話してみたらどう?可視化できていいと思うよといって。実際にホワイトボード使ったらすっと決まったのよ」

実はそのSAも先輩SAから同じようなことを言われたのだという。

「一歩引いた人が出てきて俯瞰してアドアイスしてくれた。本当はそれが教員の役割かもしれないけれど、俺もボーッとしてて空中戦に入っていたりして、引いていない時がある。大人でもそういうことがあるからさ」

(SAのMTG)

村田先生自身、専門でない分野では、時々学生に負けてしまうこともあるといいます。

しかし、それも含めて学びになる。こんなこともできるのだと学生に感心することもたくさんあるのだとか。

また、学生自身からではなく、講師からも学ぶことが増えていると村田先生は話します。

というのも、大隈塾では以前は、教員がゲスト講師を連れてきて授業を組み立てる形式だったのですが、今はゲスト講師も学生が連れてくるスタイル中心になっているのです。

「以前は、ゲスト講師の話で学生たちの目が開いていくのが楽しくて。今はゲスト講師も学生が呼ぶようになり、俺もあまり知らなくても、調べてこういう方なんだと知って、実際に話を聞いたら面白くて」

ゲスト講師にOBOGがきてくれるようになったのも、楽しさを感じる点だといいます。

「人の流れが少し太くなってきた。そういうのを続けていると毎日が楽しくてね」

そう笑います。


めちゃくちゃ成長する


大隈塾で多くの学生と出会い、彼らを見守ってきた村田先生。成長する姿をそばで見てきました。

「めちゃくちゃ成長する学生がたくさんいる」

そう言って話してくれたのが、ゼミでTAを始めたある学生のこと。

その学生は、去年の4月にゼミを受けた学生。
(前は講義を受けなければゼミはダメだったもうですが、最近はそういう学生も現れているそう)

ゼミに来た当初、気後れをしていて中々なじめなかったのだとか。

「中学も高校も、中々心を開けない学生だったようなのだけれど、大隈塾って割と自己開示をするじゃない?その学生自身も次第に自己開示をするようになってね」

その自己開示を周囲は受け入れてくれました。

「自分ってこのままでよかったのかもしれないし、身近にそういう人たちがいるんだったら、こういうことやってみよう、こうなってみようとか思えたみたいで」

結果、自分自身でも、外から見ても変わったよねって思えるようにまでなったといいます。

そして今年。 村田先生は、TAのお誘いをします。

「次のゼミが始まる時、LINEでゼミのTAやってみない?と誘ったら、やりますって言ってくれてね」

そして、そのことをゼミLINEで報告したら、皆が祝福をしてくれたといいます。

自己開示をしたり、誰かの挑戦を応援したり、この雰囲気は、僕のいた頃からずっと変わっていなし、ずっと前からそうなのだと思います。

だからこそ、様々な人が、それぞれの挑戦に踏み出せるし、成長できるのかもしれません。


大隈塾にもっと早く入っておけば良かった


大隈塾に入り「何か」を感じたのは、村田先生の身近な方でもいらっしゃいます。

娘さんです。

「パパは自分の子どもたちのことは興味ないでしょ?大隈塾の学生の子たちばっかり可愛がって、自分の子どもには興味ないよねって」

村田先生が、以前娘さんに言われた言葉です。

それを受けて、興味はあるけれど、確かに子育てはママだったな…と感じる部分もあったなと、村田先生は複雑な感情を抱きます。

「自分では子どもたちと接していると思っていても、子どもたちからすれば、たまに遊んでくれるけれど、頭の中では大隈塾のことばかりでしょと思ったのかもしれないなと」

そのような中、娘さんが早稲田大学に入学されます。そして、4年生になった際、大隈塾を受講されました。

「それまでは自分の親がやっているから授業を受けたくないと言っていたけれど、最後だからって」

春学期に講義を受け、秋学期にゼミまできてくれたのです。

そして、娘さんが大学を卒業された際、大隈塾を受けての感想を村田先生に告げます。

「大隈塾に早く入っておけば良かったなって、パパが大隈塾を好きだということが自分にはよくわかったと言ってくれたのよ」

それを聞いた時はもう号泣だよね、と村田先生はいいます。

この娘さんからの言葉を、きっと村田先生はこの先もずっと忘れることはないのではないかと勝手ながら思うのです。


横や斜めのコミュニティ


2002年から開講している大隈塾は多くの卒業生を輩出しています。また社会人向けのリーダーシップチャレンジもあり、ひとつの大きなコミュニティになっています。

よく言われるように、今は個の時代になっている。だからこそ、コミュニティが必要だと村田先生は話します。

「ジリツというのは、一人で立っているとか、一人で律するとかではなくて、どれだけ頼れる人がいるのかだなと」

村田先生は田原総一朗さんのスタッフをされていました。田原さんと一緒に色々な方に会われてきたこともあり、若い時から人脈は豊富。

村田先生はそのような状況な一方で、一般的には卒業して会社に入ると、身の回りのコミュニティには限度があるでしょう。

「会社に入ると会社の中でのコミュニティに溶け込むけれど、そのコミュニティは縦社会。自分の会社の仕事は熟練するのだけれど、それ以外は切り落とされていく。モノの考え方も自分の会社なりになっていくなと」

どんどん変わっていく世の中では、それだけでは不十分になってしまう、そう話します。

「変わっていく世の中になった時に、縦社会のコミュニティではなくなって、自分自身のスキルが求められるようになる」

コロナ禍でリモート化しているこの時代、特に実感することかもしれません。

「風の時代になり、個の時代になった。いよいよ自分なりの力をつけていかなくてはいけない。だから縦のコミュニティではなく、横だの斜めだののコミュニティが必要になっているなと」

先述した通り、大隈塾は学生対象の講座もあれば、社会人対象の講座もある。その中で出会う人々は年代も所属も様々。まさしく横や斜めのコミュニティになっているのです。

ただ、大隈塾は単に横や斜めの関係があるだけではありません。

目指しているのは学びとしてのコミュニティです。

それは、昨今流行っているオンライン的なビジネスのものとは異なります。  

もちろん、最低限の運営をするためのお金は必要。今までは、そういうのもあまり求めていなかったものの、ちゃんと回そうと思ったらスタッフを雇うなども考えているそう。

その上で、目指す学びのコミュニティの形は、座学のレクチャーだけではありません。

「レクチャーだけではなくカルチャーがある。アウトドア、旅で学ぶというスタディーツアーがある」

それは、ライフネット生命創業者の出口治明さんが言われている、”人が成長するには、人と本と旅”というのに通じます。

本というのがレクチャー、旅はスタディーツアー、人はまさしくコミュニティです。


希望学とラグビーワールドカップ


冒頭でも記載した通り、村田先生は昨年釜石へ移住されました。

震災から10年の節目という背景もありますが、他にも理由があります。

まず希望学です。

希望学とは東京大学の研究プロジェクトで、社会においての希望の意味とあり方を探究するもの。釜石はその研究対象で、震災前から東大の先生が入り、希望を研究していたのです。

“希望は与えられるものではなくて、それぞれが持ち、それぞれの中から生まれ出るもの”そういった結論が出たのは震災の後でした。

「被災地で、一人一人が努力をしてきた。物を失っただけでなく、家族が亡くなってしまったり、築き上げた財産がなくなってしまった。何にもなくなったところから始まる。そこからのリカバリー、努力、そういった物語がたくさんある。そんな場所に自分の身を置くとどうなるんだろう?と思って」

釜石への移住を決めた理由をそう話します。

(釜石の写真)

もうひとつ、村田先生が釜石に移住される理由となった出来事があります。

2019年に日本で開催されたラグビーワールドカップです。

「日本代表があそこまで強くなくて全然ダメじゃん、では盛り上がらなかったと思う。ただ、代表のチームが強かったから、結果的にラグビー自体をみんなが見るようになったなと」

釜石でもラグビーワールドカップの試合が開催されました。

その中で、様々なストーリーが生まれていったのです。

「釜石で1試合あって、もう1試合はダメになってしまってね。ただ、ダメになってもチームがボランティアをしたりして、それが一つのストーリーになっていって」

それが2019年。村田先生のライフステージが変わるのが2020年。

「幸せの四因子『やってみよう!』『ありがとう!』『なんとかなる!』『ありのまま!』に照らし合わせてもそうだったなと」

それらが合致するのが釜石だったのです。

(釜石の写真)

自分がアウトプットする


村田先生は毎日noteを書かれています。

「学生たちにアウトプットしなければいけないと言っておきながら、自分がアウトプットしてないじゃんと思って」

理由を伺うと返ってきたのが、このアウトプットのため、というものでした。そもそも、アウトプットは大隈塾では、どのように位置付けられているのでしょうか。

まず前提として、大隈塾では学びを五段階で設けています。その学びの五段階とは、講義のインプット、ダイアログ、プレゼンテーション、プロジェクト、言語化です。

これらの段階の中で、プレゼンテーションが一旦のアウトプットになります。

「自分自身がアウトプット、プレゼンテーションをしなければ言語化もしていない。権限を渡すわ、何の役割もないわで、いる意味ないじゃんと思われてしまうかもしれないなと。だからアウトプットをしようと思って」

書くこと自体は、村田先生は昔から仕事で取り組まれていたことでした。

「一応これでも若いときはジャーナリストだったし。その時のリハビリも兼ねて。書かないジャーナリスト、書かないライターになったらダメだから、書くということをもう一回自分の中で感覚みたいなのを取り戻そうと思い」

実はこの書くことと釜石も結びついています。

「釜石に関わったのも、釜石にある宝来館という旅館の女将さんのことを1年間取材して書いていたからで。月刊の雑誌の連載で通っていてね」

その記事を書く中で、感情があふれてきたといいます。

「その時、自分で書きながら笑ったり、書きながら泣いていたりしていて。最高に面白いなこれとゲラゲラ笑ったり、書いている途中に涙が止まらなくなったり。自分って結構言葉とかそういう強いものを持っているなと若い頃から思っていてね」

だから今に至る、と村田先生は話します

「それを使わないで、このままおいさらばれるのはもったいない、というかダメじゃんと思って」

その思いで気がつくと、もうかなりの日数を書き続けられている。

「今が750日ぐらい。まず1,000日続けようと。1,000日続けたらもう1,000日やる。そうやっていくのが気持ちいいのよ」

そう話します。

(宝来館の写真)

一方で、めんどくさいとも思う時もあるし、むしろ毎日そんな感じなのだと言います。

ただ、その中でも書くことによって気づきがあると話します。

「ネタがなくなることはないと思っていたら、なくなることが何回かあって。お茶を濁して書いているうちに、これってこういうことにつながるじゃんということがよくあってね」

先日も書いていて気がついたことがあったといいます。

大隈塾での総長の授業のこと。

コロナ禍において、早稲田大学はなぜ危機管理がうまくいったのかという質問に対して、最大のリスクを最小に抑える、誰一人とりのこさないこの2点を心がけていたと総長が話していました。

授業中は全然気がつかなかったものの、村田先生が、noteにアウトプットする中で、繋がっていると気づいたことがありました。

「そういえば、総長の別の授業の時にZOOMが落ちたなと。SAの一人はZOOMの復旧、

もう三人はオンライン側の学生にLINEで説明してね」

教室とオンラインが分断されているのは、ZOOMが落ちたから。ZOOMが落ちた瞬間に復旧の作業を始めている。その間、教室での学びを止めたのです。

「オンラインが落ちて、教室だけ先にやればいいじゃんという考えもあるけれど、それだとオンラインが取り残されるって言ったなと。それって総長と言ったことと全く同じことをしているじゃんと」

そのことに村田先生は、振り返ってnoteにアウトプットする点で気付いたのがポイントでもある。

「総長が喋った後にそういう行動をしていたら、その話から学んだねってなるんだけれど、そういうトラブルがあった後に総長の話だったから。学生たちもこっちの話を聞く前に自分たちで実践している。この学生たちはなんなんだ!というのを書きながら気がついてね」

それは大隈塾が大事にしている、”インフォメーションからインテリジェンス”にもつながる。

「アウトプットする時にインプットを寄せ集めてこなくてはいけない。それって以前に大隈塾を担当された高野孟先生がインフォメーションからインテリジェンスへと言っていたのと同じ」

インフォメーションを集めて統合して、自分なりの言葉やストーリーにした時、インインテリジェンスになる。

「インテリジェンスにはアウトプットが必要。今しゃべりながらこのインタビューもインテリジェンスだなと」


一方で、アウトプットは大切なものの、その習慣が中々ない人もいます。

そんな時、今自分が行っていることの延長線上で考えていけば良いと、村田先生は話します。

「Twitterで書いている場合、そのアウトプットは非常に良いのだけれど、TwitterばっかりやっていたらたまにはFacebookぐらいの500文字程度で書いてみるかとか」

村田先生は続けます。

「500文字ぐらい書いていたら、次はnoteで週に1回1,500字、2,000字ぐらい書いてみようかとか。noteを毎日書いているのならば、週に1回ぐらいはちゃんと調べて5,000字ぐらいは書いてみようかなとか」

無理にnoteを書くというのではなく、まずはTwitterをやっている人が、もうちょっと長い文を書くというのがあってもいいかなと、そう話します。

そして、これがインテリジェンスを作るトレーニングになると言います。


引き算によるインテリジェンス


このインテリジェンスの考えは、他のことにも当てはまります。

「鬱とかになってしまう人も、無理に頑張ろうとするのではなくてそれでいいんだと思えるのが大事。積極的に何かをするわけでも、受け身で何かをするわけでもない、能動と受動の間の中動態だなと」

それは、今のこの状態を解決しようとするのではなく、それでいいとすることでもある。

「鬱になっている人に対して、それでいいんじゃない?そういう時期なんだよと、モヤモヤはモヤモヤのまま解決しないのが大事」

今日も辛い日で、明日も辛い日で、いつかなんとかなるさと。それも一種のインテリジェンス。

「今あるものだけで判断するのではなくて、いろんなものをつなげていって、ジャッジはしないんだけれど、シェアするという方法もある」

そこまで話して、村田先生はインテリジェンスは足し算だけではなく、引き算でもできると気が付きます。

「インフォメーションとインフォメーションを足していって、それを昇華させるというのがインフォメーションの作り方。ただ、今ある状態というインフォメーションから色々抜いてあげると違う状態になる感じ。それってまさに中動態かなと」


三角形が動いていること


最後に伺ったのが、村田先生の今のライフスタイルについて。

村田先生は、以前noteで「稼ぎ」と「務め」と「暮らし」の正三角形をつくることを今後のライフスタイルにしていきたい、と書かれていました。

移住をして時間が経過した今、三角形はどのような形になっているのでしょうか。

「稼ぎの一点は変わらない。暮らしと仕事の部分が増えたり減ったり」

釜石に移住されたことによって、動いている部分がある。そして、この動いている感覚が大切だと村田先生は言います。

「正三角形になることが重要と思っていたけれど、いつも動いているってのが重要なのかもしれない」

そう話します。


あとがき


「私のことを、『村田さん』『村田先生「むらさん』と呼ぶ世代で分かれる」
以前話されていたことで、僕は「村田先生」にあたります。

大学時代のことを思い起こすと、大隈塾の記憶が多くを占めます。14号館(当時)で受けた講義、秋田や千葉の鴨川での稲刈り・・
社会に出始めた今になって、講師の方から聞いた言葉、議論した内容、自分の語感で体感したことが糧になっていると思います。

「稼ぎ」と「務め」と「暮らし」の三角形は動いているのが大事と村田先生は話されました。まさしく村田先生が体現されている、時代やライフイベント、ライフステージに応じて動かしていくこと、それこそが僕も目指していきたい姿のかもしれないと思いました。

(れい)