秋の夜。夏の暑さがまだ残る10月、渋谷の街で。
「はるならしい選択」言葉にするとシンプル。シンプルだけれど、きっと、それだけではない、背景にある葛藤とか決意とか経緯とか、そして今何を想っているのか、聞きたくて、会いに行きました。
「あんまりポジティブではないかもしれない。」
イマココの気持ちをそう答えてくれた、はるな。ポジティブとネガティブがグルグルと回っている感じ、だと話す。
話を聞いていくと、決してポジティブだけではない、強い意思の奥にある想いが見え隠れする。
はるなの今の職場は、途上国でストーリーあるモノづくりを貫くブランド。その中で、ブランドのストーリーを伝えていくこと。
今の仕事に転職をして約8ヶ月が経つ。
「転職して新しい部署に異動して、自分がやりたいと思っていたことが全部詰まっていて、めちゃくちゃ嬉しくて。飛び上がるぐらい嬉しかった。」
けれど、、と続ける。
「今のプロジェクトに関わっている他の社員は、社歴があったり経験を積んでいたりするんです。何で自分なんだろうって不安を抱えたりもする。」
はるなが今関わっているのは、新しいブランドの立ち上げフェーズ。そのブランドの新しいお店は3人体制。少数精鋭のチームで取り組んでいる。前職のファッションに関する経験の軸や、好奇心みたいな主体性の強さを見て、選んでくれたのだろう。だからこそ、選んでくれた人への想いがある。
「選んだ人に人選ミスだったと思われないように、と思ってがんばっているけれど、それで頭がコチコチになって抜け漏れが増えて、、もっとがんばんなきゃなって」
今のところ全然やれていないと話す。
「ひとりひとりが、しっかりやらないと回らない。自分がちゃんとしないと後の二人に迷惑をかけてしまう。だから、もっともっと成長しなきゃというのが強くて、ただ何をどう成長したらよいのかみたいなのも手探りで…」
一回り経験していたら想定できることがまだ一回りできていないから全然気が回らない。それでも、日頃感じているのは、届けられるものの安心感
「自信を持って届けられるから」
根底にその感覚があるから、がんばっているし、もっと成長して、がんばろう、と思えるのかもしれない。
大号泣した最終面接
「前の会社も挫折に近かったんです。」
自分のダメなところを副社長や上の人たちが見てくれていて、そこは変われるチャンスなのかなと話す。
そう思うに至ったのは、今の会社の最終面接で、副社長に言われた言葉にあった。
「今の会社の最終面接で副社長に、『声と意思だけが強い人間でこのまま終わっちゃうよ』と言われたんです。最終面接で大号泣したんですけれど、その時に言われたのが、『伝えるプロになれ』ということでした。」
その言葉を受けて、それ以来「伝えること」についてずっと考えているそう。伝えるというのもいろいろな対象があるし、いろいろな方面がある。伝える相手も対チームも対お客様に対しても、対大きい会社の組織全体にも。
どうやって伝えるか、どうやったら伝わるか、もっと考えて伝えるプロになりなさい、そういうメッセージを受け取った。
「その時はなんだかよく分からなかったけれど、その言葉だけはめちゃめちゃ印象に残っていた。今転職してちょうど8ヶ月になるけれど、伝えるプロって何だろうとめちゃめちゃ考えています。」
それ以来、伝えることについて考えている、はるな。伝えると一口にいっても、様々なプロセスや確認が必要と気がつく。
「伝えるプロになるために 伝えるためのプロセスがあったり、ちゃんとそれが伝わっているかの確認だったり、そういうのをちゃんとやっていくことがプロなんだろうなって。」
本当にそれがまだできていなくて、はるなは話す。
「伝え方もネガティブに伝えるのではなくて、楽しく無いと伝わらないから、それをどう楽しく伝えられるかみたいな。後は、もの自体がワクワクするものでないととは思います」
「伝える」を考えることは続く。
ものが持つ可能性を伝えたい
そもそも、はるなが”伝えたいこと”とは何なのか
「純粋に旅とかしてきたから、世界の美しいできごととか自然とか、逆にミクロネシアとか行って感じた社会の違和感とかモヤモヤを伝えたい。」
はるなは大学生の時も、そして社会人になってからも、よく旅をする。自分の目で見て、耳で聞いて、手で触れて、感じてきた、世界がある。だからこそ、考えている想いがあるのだろう。
「もうちょっと、ひとりひとりが日常の選択を責任を持ってできるような、服を一つ買うにしても食べ物にしても、どうやってこれはここまでやってきたんだろうと想像を膨らませられるような心の余白をつくること、自分の一つの選択が世界を変えるというか、そういうのを思って欲しいんです。」
もう一つ、想うことがある。
「純粋に手仕事とか好きだから、ものがもつ可能性みたいなのも伝えたい。」
はるなが「もののもつ可能性」について、感じた10年程前に起きたきっかけを話してくれた。
母親が十年ぐらい前に、今働いてる会社について、テレビで見て感銘を受けて、中学生の時にはるなも一緒に買いに行ったのだとか。
「もともとうちの母親は、ブランドものとか興味ない人なんだけれど、そこのバッグを持つと誇らしい気持ちになると言っていて、”もののちから”みないなものを感じたんです。」
ものを持つことは、自信につながる、そう感じた。そんな母親は、はるなにとって、価値観が形作られる上で、一番影響を受けた人。
「その時の自分にとっては母親の価値観が割と絶対的なところがあって。まだ他の価値観を知らないから…その価値観が絶対正しいと思い込んでいたみたいなことは思っているかもしれない」
めちゃくちゃ感謝していると話す。一方で、それだけではない、とも感じている。
「母親から、めちゃめちゃ影響は受けているけれど、それだけじゃない。ちゃんと自分で選んだとも思っている」
そう言って、笑う。
もので、つながる
今度は、はるな自身が感じた、「ものの持つ可能性」について、素敵な話をしてくれた。
「もので、つながることがいっぱいあったんです」
そう言って見せてくれたのが、その日つけていた鮮やかな赤色が素敵なピアス。名前をOCICAという。
(http://www.ocica.jp/index.htmlより)
東日本大震災で被災した宮城のお母さんたちが作っているもので、鹿の角を使って作られてる。
「たまたま雑貨屋さんかどっかで見つけたんです。その時は可愛いなって思って手に取ったけれど、その時はまだピアス開けていなかったから残念だと思って。帰り道に調べてみたら大学のOBの人が携わっていて、色々調べていったら高野先生のゼミに辿り着いた。」
はるなが辿り着いたのは、『世界が仕事場』という授業。
「いろいろな人と会えたのもそのアクセサリーがきっかけ。世界が仕事場の授業を受けたのも、とにかく高野先生に会いたかったから。
そうすれば、OCICAをやっている、友廣さんという人に、会えるかなとも思ったそう。
「実際に高野先生の授業を受けて特別講師に友廣さんを呼んで会えて、その後も、ヤップに行ったり、グリーンズでインターンしたりどんどん広がっていった。」
はるなが、サステナビリティとかソーシャルデザインについて知ったのも、OCICAのアクセサリーがきっかけ。
「OCICAを調べていたらグリーンズというメディアの記事で紹介されているのを見つけました。このサイト良いサイトだなと思って、見てたらインターンをやっていたことを知ったんです。」
実際にインターンに応募して、そこからソーシャルデザインのこととかも知るようになったのだとか。
「このアクセサリーそんなに高くなくて。5000円ぐらいのアクセサリーから世界が広がったんだと思うと、すごい、もののちからを感じる。ものに力があるんだなって改めて思う。」
偶然の出会いのはじまりは、一つのアクセサリー。それをつけたいがために、ピアス穴もあけたそうだ。
つくってみたからこそ、わかること
「ものの持つ可能性を伝えたい」そう話す、はるな自身は何かをつくらないのだろうか。
手先が器用で無いから続かない、そう答えたものの、自分でも色々つくっているよう。
「趣味で服をつくったり。前職で仲良くなったお客さんが服をつくれる人で、高円寺の家まで行って教えてもらったりしていました。」
自分がつくれなくなったらミシンあげるわといってもらえたりもしたそうだ。ただ、実際に自分でつくってみて、分かることがある
「作るには作るけれど粗いというか最後まで神経を研ぎ澄ませられない。つくるのってすごい疲れるなって。」
つくってみたからこその職人さんへのリスペクトを感じるのだろう。
洋服以外にも挑戦していることがある。その一つが野菜。
「実家の花壇を勝手に畑に変えてしまって笑。じゃがいもとにんじんと大根とキャベツ、後コットンを育てていた。コットンは5年ぐらいずっと育てているから、なれてきた感はあるのだけれど大根とか一週間手を抜いたら全部虫に食べられちゃって農家さんってすごいなあって。」
これも、やってみなければ分からないと感じていること。
「一応トライはしているけれど向いていないなって。職業としてやっている人はすごい。」
はるなは世界中の工場によく足を運ぶ。転職する合間にもインドネシアに行って、ジュエリーつくっている職人さんに会っていた。
近々は現場インドの工場にも行こうと思っているのだとか。今はそれがちゃんとできる環境なのもありがたい、と話す。
「会いたいですって人事に言ったらいいですよって言ってくれた。実際に会ってみたり経験してみたりしないと、わたしは分からないから。」
自分の手で、つくってみる。自分の目で、職人さんがつくっている現場を見る。それを重ねてきた、はるなだからこそ感じる、ものづくりへの向き合い方なのかもしれない。
思いついてしまった、いいこと
「最近ちょっといいこと思いついてしまって…」
全然実現するか分からないけれど、という前置きをしながら、今やりたいこととして、話してくれたのは、母親のニット編み物のお話。
「母親がニット編み物がめちゃくちゃ上手で、小さい頃から編んでいて。最近もすごいかわいい私のセーターを編んでくれたり。結構レベルが高い編み物なんです。」
そんな母親の編み物を販売するお手伝いをしたいと、はるなは、ずっと思っていた。
「ずーっと半年ぐらい話していたんだけれど、うーんみたいな反応をされていて。。節々にやりたいみたいな感じは出ていて、ただ自分に自信がないみたいな感じ。ただ、この前テレビでお庭で編み物しているテレビの映像があって、わたしもこういうのしたいなって、言っているのを聞いて、やっぱりやろうと、話して。今それで何かできたらなって思っています。」
はるながこのタイミングでお手伝いをしたいと考えるようになったのには、ずっと母親を見ていたからこその、娘としての、想い、願いが込められている。
「最近、本人に立て続けに悪いことが起きて、空っぽみたいな状態で。割と今までずっと、人のために生きてきた人だったから、自分のためにというか色々とこれからは人生楽しんで欲しいなと思って。」
一週間に一枚とか作って届けられたらなって思って、そう笑う。
それは母親だけではなく、娘のはるなにとっても挑戦だった。
「今はやっぱりブランドの箱の中で制約が多いから、そういう制約をとっぱらって自由にやるっていうのも良いなあと思って」
“制約”と”自由”。対照的なその言葉は、おそらく、”学生”と”社会人”、その対比にそのまま合わさるのかもしれない。
その背景には、学生の時にあった、本当になんでもありという、がむしゃら感が本当になくなっている感覚なのだろう。
「今でもふと思い出して楽しかったなあって思う時もあって。」
時には、自分たちがお手伝いして作ったお米を、学校に炊飯器を持ってきておにぎりを作っていたり、オルタナメンバーの一人の実家が神社で、そこで焚き火をしたら消防の人が来ちゃったこともあった(※許可は出していたそうです)
「なんでもありで、誰にも怒られない。あの時代の、がむしゃらで、自由な感じが無性に恋しくなる時がある。」
南米とスペイン語
はるな自身、今すぐでなく、少し先の未来にやりたいことがある。
「いつか自分の空間を持ちたくて、小さくてもよいけれどそこでいろんな人が集まって、そこでまた新しい発見がある。そういうキッカケになる場所を作りたいなって。」
それは、はるなが学生の時からずっと思っていること。しかし、考えている実現の形は少しずつ変わってきている。
「最近は、今いる会社が良いところだなって、つくづく思うから、そこでじっくりと形になることをしたいなとも」
もうひとつ。暮らす場所についても、考えていることがある。
「120歳ぐらいまで生きたいと思っているんだけれど、昔は80歳ぐらいで南米に行こうと思っていて。ただ、最近はもう少し前倒しでもいいかなって思って、それも仕事と掛け合わせられたら良いなと。」
はるなにとって南米は特別な場所。
力が漲ってくる場所で、色づかいとかも好きで、ワクワクする。
南米を感じたはじまりは、小学生の頃にさかのぼる。
「小学生の頃の異文化交流みたいな会があって、アンデスの音楽やっている人が来てダンスをやったり音楽していた。その時から南米行ってみたいなってずっと思っていた。」
そして大学に入って実際に訪れる。それだけではなく、スペイン語の感じがとても好きだと、スペイン語を専攻した。
スペイン語は好きな一方で、大学のテストでは苦戦していたのだとか
「テストの時、合格ライン60点に対して、多分50点ぐらいで、このままだと、ギリギリ落とすなと思って…」
はるなの所属する文化構想学部は、第二外国語の単位を落としたら、4年で卒業できなくなってしまう。
「やばいと思って、なぜか日本語で手書きで私がスペイン語を専攻した理由みたいな、なぜならペルーに行きたいからみたいなのを書いて、更にわたしのオススメの民芸品みたいなのも書いて出しました。それも、あえて手書きで書いてその方が伝わるかなって。後、あえて写真も印刷して切ってのりではって、提出したら単位取れて。無事4年で卒業できました笑」
好奇心のはじまり
様々な場所に行ったり、調べたり、つくったり、、はるなが、いろいろなことに興味を持つようになったのは、いつなのだろうか。
思い出すのは、高校生ぐらいの時。当時、部活に加えて、ダンススクールに通い始めた頃だった。
「本当はダンススクール一本にしたかったんだけれど、母親が絶対に部活は辞めるなと言い…結果的に続けてめちゃくちゃ良かったけれど、そのぐらいから、いろんなことに興味を持ちはじめて。」
高校の文化祭でもワークショップみたいなのを開いた。ランスのデコパッチという紙を使って木とか色々とデコレーションするツールを使ったワークショップだった。
「高校生だから言えば許してくれると思って。」
そう言って、会社に連絡して協賛して資材提供をしてもらったという。その時売り出し中のブランドだったから言えばやってくれるかなと思って頼んだらやってくれた。
「そのあたりからそのブランドも勢いがついて、今年注目のアイテム見たいな雑誌にも載り出して。それよりも先に目をつけられたみたいな喜びがあった。そのぐらいからバイヤーとか雑貨屋さんがやりたいと思うようになった」
もう1人、影響を受けている人物がいる。
宮﨑あおい、だ。
「めちゃめちゃ好きで。中学生ぐらいから。」
はるなは宮﨑あおいから、数えきれないくらいの影響を受けている。
海外に行くようになったのも、宮﨑あおいがきっかけ。あちこち海外に行っているのを見て、大人に、大学生ぐらいになったら、あちこち行きたいと思っていたのだそう。
「すごい影響を受けていて意外とミーハーな感じ。」
そう言って笑った顔は、憧れとも、ファンとも形容しがたい、特別のものだった。
「宮﨑あおいが雑貨屋さんやりたいって言っていたのとか、ポストカード集めるのが好きとか、全部真似したり、旅に行くときは必ず手作りのしおりを作る、みたいなのを言っていて、それは、わたしも徹底している。」
そして、それらは今はるなが取り組んでいることにもつながっている。
そう言って紹介してくれたのが、宮﨑あおいの本『たりないピース』
その本の中で、フェアトレードとか貧困とかが取り上げられていて、実際に宮﨑あおいが、インドやスラム街に行っている話がある。丁度そのくらいに母親がバッグ買ったのと同じぐらいで、タイミングが重なったのもあった。興味が益々広がっていった。
「まずは楽しいや可愛いからこの本を知って、それからどんどん、そういう分野に広がっていった。」
きっかけは意外とそんなもん、と笑う。
去年、この本作っている人にも偶然会うことができて、その際にも同じようなことを言われた。
「その企画をした人も、そういう風に思って、宮﨑あおいをその本の企画に起用したそうで、私もそれにまんまとハマって笑。でもそういう人が多いみたいで、エシカル界隈で活躍している人も結構この本がキッカケになったりしているみたい。」
自分のことをちゃんと伝える
話は、再び伝えることについて、に戻ってきた。
「自分のことって相手は分かるだろうって思うけれど、自分のことってちゃんと伝えられていないのかもしれない。全然伝え方って違うから。」
一方で、あんまり自分のことって話しすぎても、すごい自己主張の強い人だと思われたら嫌だなと思うとあんまり自分のことって話さなかったりする。
「この間も、コットンのタネが大量に手元にあるから、会社の人に配ろうと考えて。みんながコットン育てて学びになったら良いなと思ったから。その時に思ったのが、渡し方一つにしてもバックグラウンドを話した上で渡すのと、なんかよく分からないけれど渡すのでは全然伝わり方が違うなって。」
自分をちゃんと伝えるのを結構怖がる感覚、そういうのがある。ただ、それだけではない。はるなが伝えることを考える際に、気になってしまう人たちがいる。
「エシカル界隈のすごい人たちをみるとマルチにやっていてすごいなって思って虚しくなることが多くて…あの人たちは本当にすごいから、あそこまで行けていて、比べないようにしているけれど。」
それは、ふいに見せた、こころの声のような気がした。比べないようにしている、しているけれど、どこか目や耳には入ってきてしまうものなのかもしれない。ただ、分かった上で、それでも、伝えたいことや、想いがあるから、きっと、考え続けている。
「発信するのが上手い人たちはすごいなって思うけれど自分のペースでいきたいなって。」
その瞳は真っ直ぐ前を見ていた。
実際に、はるなは、焦りを感じている。
「転職も焦ったし、今も焦っているし、せっかちなのかもしれない。」
はるなが焦りを感じているのは、自分の目指したい理想とのギャップからかもしれない。
それを突き動かしているのは、やはり、ここでも周りの今までお世話になってきた人の存在。
「学生時代、いろいろな場所で、いろいろな人にお世話になっていて、その人たちに恥ずかしないように、その人たちからいっぱいよくしてもらったから、社会に還元できるようにならなきゃとか。」
逆に、最近自信が持てるようになってきて、だからこそ、久しぶりの人たちに偶然会うことが多くなったかもしれない、そう話す。
続けること
「仕事辞める時も自分なりですごい悩んで悩んで悩んで決めたつもりだったけれど、周りの人的には入社した時から、みんな分かってたらしくて、逆に悩んだの?みたいな。入った瞬間から辞めそうな空気プンプンしてたよみたいな。」
「はるならしい選択」周囲から見たイメージだと、確かにそう感じるのかもしれない。ただ、そこには当人にしか分からない葛藤があった。
その上で、はるなが、今思うのは続けること。
「続けなれば分からないこともあるのかなって。ダンスも幼稚園から大学生まで部活も中高と続けて、それによる自信もあったから。ちゃんと続けます。」