「他者を信頼する、任せる」


6月、7月・・今年も雨が多くなる時季がやってきました。

ゆっくりと話をするのは約一年ぶり。前回話を聴いたのは、時代が令和に変わった日。そして、その日も雨が降っていました。

「大変なんですけれど、たぶん、なんだかんだ楽しんでいるんだろうなと言う感じ」

イマココの想いをそう話す、池ちゃん。一年前とは、何かもかもが予想していない状態で、様変わりしている令和二年の今。考えていること、取り組んでいることを聞きました。

※1回目のインタビューはこちら


池ちゃんの仕事場は、認定NPO法人カタリバが運営している、アダチベース。

子どもたちの「安全基地」と銘打たれているその場所で、池ちゃんは職員として、授業や、施設運営に携わっています。

「起きている変化に対して、どうアクションをとっていくかが求められている感じです」

コロナウイルスの影響を受け、様々な機関や組織で、対応が求められている状況。アダチベースでも、今後どのように運営をしていけばよいのか、ここ数ヶ月、考え、対応を重ねているようです。そのような状況で、今考えていることが、オンラインとオフラインの融合。

「今やろうとしているのが、オンラインとオフラインの支援を混ぜていくことです。両方のいいとこ取りをしながら、むしろオンラインでの支援に軸をおいてやっていくことは新しいことでもあると思うんです。この新しいことに思考を巡らせて、仲間と一緒に新しいものをつくっています」

”生みの苦しみ”というものはありつつ、楽しみ、と池ちゃんは話します。


考えることが好き

池ちゃんが、楽しみと話す背景には、「考えることが好き」という性格があるのだとか。

「元々、考えるのが好きなんです。アダチベース自体が、インターンを含めると、自分が関わり出して4年目で、ずっと学習のところを見ています。今、もっとアダチベースの学習支援の大きいところを考えたい欲が出てきています。」

スタッフが子どもに、どのように学習支援をしたら良いのか、1年後、3年後とかで、どのような学習関連のイベントや機会があれば良いのかなど、考えることは様々にある。

理想を描くのは苦手、と話す池ちゃん。

しかし、今あるところから一歩一歩考えたい、その過程は楽しいと話します。

「オンライン・オフラインの融合を通して、どのように学習支援を続けるのか、考えたり、考えようとしているのは楽しいです」


もはや、ピンチをチャンスにというフェーズではない

楽しいと話した池ちゃん。しかし、世の中的に大変だった、3月、4月、5月は、池ちゃんもタフな時期を過ごしていました。

「こんな状況だからこそ、無理やりポジティブにしよう症候群ではないですが、ポジティブになろうみたいな流れが世間的にあった気がするんです。ピンチをチャンスにというワードが飛び交っているのを見たり聞いたりして、分かるけれど、そうは言っても大変じゃない?みたいなのもありました。」

3月はオンラインでの居場所や学習を立ち上げるので精一杯。それが一旦作り終わった4月や5月になり、池ちゃんが、今感じていることは、ピンチをチャンスに、ではない。

「もはや、ピンチをチャンスにというフェーズではないのだと思います。コロナの緊急事態宣言は解除されたものの、第2波、第3波は来るかもしれないし、コロナとどう付き合っていくか、心構えというかそういう準備はできてきたと思います。」

そこを前提に考えるようになってから、ピンチをチャンスにというのは気にならず、健康的な精神状態でいられるのだと話してくれました。


ゴールは一緒

最近は、アダチベースの中で、運営の立場に携わることが多い池ちゃん。一方で、現場から離れている感じはあまりないと話します。

「たとえば、インターンの育成に関しては、成長のための力になりたい。そのためには自分は何ができなくてはいけないんだろうと考えて取り組んだり、それこそ人材チームの人に相談したりしています。」

ゴールは一緒で、手札が増えたり、幅が広がったりした感覚だといいます。

「子どもたちに価値を届けたいとか、そういう何かしら願いがあって、そこに対して、直接いくのか、人を介するのか、仕組みを介するのか、いくつかパターンがあると思います。今は人を介してとか、仕組みを介してに関心が向いています。」


他者ってなんなんだろう

池ちゃんが、特に今考えているのが、他者という観点だといいます。

「子どもたちとは関わっていきたいなとは思っています。一方で、自分のテーマとして、人とどう付き合っていくか、そもそも、他者ってなんなんだろう、みたいなところも結構考えています。」

たとえば、アダチベースの場合、同僚やインターンの人たちと、どのように一緒に働くか、につながってきます。

池ちゃんが、この他者について考えている背景は、2019年の振り返りがきっかけでした。

「去年は、自分と向き合って、自分をバージョンアップさせたいという思いで、様々に行動していたなと思ったんです。」

たとえば、宿泊型の対話型プログラムに参加したり、ちょっと背伸びしてファッションコンサル受けてみたり、ミュージカルの体験に行ってみたり、普段自分ではしないようなことに手を伸ばしていた池ちゃん。

その中で、自分に矢印が向いていると強く感じたことがあったのだとか。

それは、高知での対話型のプログラムに参加した時のこと。

「プログラムの最後、自分含めた、参加した6人のメンバーで、スタッフの方も交え、車座になって、3日間の学んだこととか、自分がこれを頑張る、みたいなことを話す時間があったんです。」

その際、池ちゃんは、その振り返りの時間でも、自分のことを考えていると気がつきます。

「自分のことしか考えない自分に気がついて、嫌になったんです。時間を共にして、対話を共にして、地域の人の話を聞き、遊んでいたりしたにも関わらず、結局、自分に矢印が向いて話聞けていないなと。チェックアウトの場で、心を置けていないなと思い、涙が出てきました」

そして、考えたのは、自分から抜け出す、ということ。

「その経験を経て、自分が一歩ステージが上がった気はするけれど、自分が、自分が・・という部分から抜け出さなくてはいけない。抜け出した方がいいんだろうなと思うようになったんです。だから、人を信頼する、他者を信頼する、他者と共に何かする、他者に頼る、任せる、相談するとかを、どうやったら実現できるか、もっと考えたいし、探究したいです。」

高知のプログラムにて


誰とやっているか見えない

また、仕事でも、他者を意識できていないと思ったきっかけがあります。

1月から3月でコミュニティマネジメントの勉強会に参加していたときのこと。

この勉強会は、組織のビジョン・ミッションをどのように作るか、新たな仲間をどのように巻き込むかなど、強い組織をつくるための手段やフレームワークを学ぶ場だったといいます。

「勉強会の最後に、自分の所属する団体について、ビジョン・ミッションや、組織図、事業内容などを話す時間がありました。自分の話に対するフィードバックで、スタッフの方から、池ちゃんの話していることは誰とやっているかが見えないと言われたんです」

そこでまた、他者について考えが及んでいなかったことに気づかされます。

「自分の中で世界を膨らませて、それを表現することは、その場ではできたけれど、誰とやっているのかと言われた時に、考えていなかったと思ったんです。身近なことで言うと、任せることとか、抽象度を上げると、誰とやるのかなどの考えが抜けていることに気づかされました。」

とはいえ、誰かに任せるというのは簡単ではない。まさに言うは易し行うは難し。

「文章で伝わる子もいれば視覚化しなければ伝わらない子もいます。学習や教育って経験則になってしまいがちですが、軸となる理論があります。何かを仕組みをつくるとか、子どもと関わるとかなった時に、そこのインプットがまず必要になってきます。」

今、池ちゃんは、学習プログラムに関して、全体を見る位置にいる。そのため、様々な業務や意見が、池ちゃんのもとに集まります。集まる意見は、スタッフの研修とか、来月からの開館した後の授業をどうするかとか、オンラインの自習室どうするかなど、多岐にわたります。

「様々な業務を全部自分で考えるのは無理だから、インターンや同僚に任せるのですが、それが難しくて…丸投げになるとダメだなと思って、丁寧にしなきゃとは思うけれど、丁寧にしている時間はないしなと思ったり。結局自分でやっちゃうこともあります。」

とはいえ、任せないと育たない・・・だからこそ、わかりやすいタスクから任せて、思考の余地ができるようなタスクから任せるようにしているのだと、池ちゃんは話します。


ちゃんと生活をしたい、ちゃんと人間になりたい

最後に、仕事以外の生活面について。

最近、料理を始めたという池ちゃん。元々自炊用の本は買っていたけれど、3月に入ってから始めたのだとか。料理を始めた理由は2つあると話してくれました。

「1つは自粛期間で暇になったから。それまでは休みの日はセミナー行ったり、インプットのために、学びに行っていました。ただ、外にいけないし、家にいるしかない。家にいると、本を読むぐらいしかなく…料理できるなと思ったんです」

池ちゃん作


「もう一つ、ちゃんと生活したい、ちゃんと人間になりたいと思ったんです」

”ちゃんと人間になりたい”という強烈なパンチライン。そこには、池ちゃんが、今までしたいと思っていたけれど、できていなかった生活の仕方への思いがあります。

「それまでは、ご飯は、お弁当屋さんで買ったものとか、コンビニで買ったものとかで。後、家は寝てダラダラする場所みたいになっていて…こんな状況をどうにかしたいなとは、2020年の始めに思っていたんです。」

そうして考えたことが、ちゃんと生活をすること。

「生活のサイクルとしての料理・掃除・洗濯とかを、なあなあにしない、テキトーにやらずにいたいなと。生活するというのは自分を大切にすることにつながると思うんです。生活するが整っていないと人に対して、優しくするとか、気遣うとか、難しいのかもしれないと思って。だから、生活の一部として料理をているのかもしれません」

ちゃんと生活をすることは、ちゃんと人間になることにも繋がる。それはきっと、池ちゃんが考えている「他者」というキーワードにもつながってくるのかもしれません。


おわりに

約1年ぶりにあった池ちゃんは、変わらずに、教育に、子どもに向き合い続けていました。

一方で、他者への向き合い方や、子どもたちへの学習の届け方など、「変わらなくてはいけない」部分から、目をそらさずに、向き合い続けている、そんな姿に勇気をもらいました。

大変な状況であることは変わりないはずなのに、フランクに、優しく、語りかけてくれることに感謝をしつつ、また、話を聴いた時に、どんな物語を話してくれるのか、今から楽しみです。

(れい)


*portfolio


「今なら『先生』が選択肢の一つに」(2020年4月)