「他者を信頼する、任せる」



6月、7月・・今年も雨が多くなる時季がやってきました。

ゆっくりと話をするのは約一年ぶり。前回話を聴いたのは、時代が令和に変わった日。そして、その日も雨が降っていました。

「大変なんですけれど、たぶん、なんだかんだ楽しんでいるんだろうなと言う感じ」

イマココの想いをそう話す、池ちゃん。一年前とは、何かもかもが予想していない状態で、様変わりしている令和二年の今。考えていること、取り組んでいることを聞きました。

※1回目のインタビューはこちら


池ちゃんの仕事場は、認定NPO法人カタリバが運営している、アダチベース。


子どもたちの「安全基地」と銘打たれているその場所で、池ちゃんは職員として、授業や、施設運営に携わっています。

「起きている変化に対して、どうアクションをとっていくかが求められている感じです」

コロナウイルスの影響を受け、様々な機関や組織で、対応が求められている状況。アダチベースでも、今後どのように運営をしていけばよいのか、ここ数ヶ月、考え、対応を重ねているようです。そのような状況で、今考えていることが、オンラインとオフラインの融合。

「今やろうとしているのが、オンラインとオフラインの支援を混ぜていくことです。両方のいいとこ取りをしながら、むしろオンラインでの支援に軸をおいてやっていくことは新しいことでもあると思うんです。この新しいことに思考を巡らせて、仲間と一緒に新しいものをつくっています」

”生みの苦しみ”というものはありつつ、楽しみ、と池ちゃんは話します。


考えることが好き

池ちゃんが、楽しみと話す背景には、「考えることが好き」という性格があるのだとか。

「元々、考えるのが好きなんです。アダチベース自体が、インターンを含めると、自分が関わり出して4年目で、ずっと学習のところを見ています。今、もっとアダチベースの学習支援の大きいところを考えたい欲が出てきています。」

スタッフが子どもに、どのように学習支援をしたら良いのか、1年後、3年後とかで、どのような学習関連のイベントや機会があれば良いのかなど、考えることは様々にある。

理想を描くのは苦手、と話す池ちゃん。

しかし、今あるところから一歩一歩考えたい、その過程は楽しいと話します。

「オンライン・オフラインの融合を通して、どのように学習支援を続けるのか、考えたり、考えようとしているのは楽しいです」


もはや、ピンチをチャンスにというフェーズではない

楽しいと話した池ちゃん。しかし、世の中的に大変だった、3月、4月、5月は、池ちゃんもタフな時期を過ごしていました。

「こんな状況だからこそ、無理やりポジティブにしよう症候群ではないですが、ポジティブになろうみたいな流れが世間的にあった気がするんです。ピンチをチャンスにというワードが飛び交っているのを見たり聞いたりして、分かるけれど、そうは言っても大変じゃない?みたいなのもありました。」

3月はオンラインでの居場所や学習を立ち上げるので精一杯。それが一旦作り終わった4月や5月になり、池ちゃんが、今感じていることは、ピンチをチャンスに、ではない。

「もはや、ピンチをチャンスにというフェーズではないのだと思います。コロナの緊急事態宣言は解除されたものの、第2波、第3波は来るかもしれないし、コロナとどう付き合っていくか、心構えというかそういう準備はできてきたと思います。」

そこを前提に考えるようになってから、ピンチをチャンスにというのは気にならず、健康的な精神状態でいられるのだと話してくれました。


ゴールは一緒

最近は、アダチベースの中で、運営の立場に携わることが多い池ちゃん。一方で、現場から離れている感じはあまりないと話します。

「たとえば、インターンの育成に関しては、成長のための力になりたい。そのためには自分は何ができなくてはいけないんだろうと考えて取り組んだり、それこそ人材チームの人に相談したりしています。」

ゴールは一緒で、手札が増えたり、幅が広がったりした感覚だといいます。

「子どもたちに価値を届けたいとか、そういう何かしら願いがあって、そこに対して、直接いくのか、人を介するのか、仕組みを介するのか、いくつかパターンがあると思います。今は人を介してとか、仕組みを介してに関心が向いています。」


他者ってなんなんだろう

池ちゃんが、特に今考えているのが、他者という観点だといいます。

「子どもたちとは関わっていきたいなとは思っています。一方で、自分のテーマとして、人とどう付き合っていくか、そもそも、他者ってなんなんだろう、みたいなところも結構考えています。」

たとえば、アダチベースの場合、同僚やインターンの人たちと、どのように一緒に働くか、につながってきます。

池ちゃんが、この他者について考えている背景は、2019年の振り返りがきっかけでした。

「去年は、自分と向き合って、自分をバージョンアップさせたいという思いで、様々に行動していたなと思ったんです。」

たとえば、宿泊型の対話型プログラムに参加したり、ちょっと背伸びしてファッションコンサル受けてみたり、ミュージカルの体験に行ってみたり、普段自分ではしないようなことに手を伸ばしていた池ちゃん。

その中で、自分に矢印が向いていると強く感じたことがあったのだとか。

それは、高知での対話型のプログラムに参加した時のこと。

「プログラムの最後、自分含めた、参加した6人のメンバーで、スタッフの方も交え、車座になって、3日間の学んだこととか、自分がこれを頑張る、みたいなことを話す時間があったんです。」

その際、池ちゃんは、その振り返りの時間でも、自分のことを考えていると気がつきます。

「自分のことしか考えない自分に気がついて、嫌になったんです。時間を共にして、対話を共にして、地域の人の話を聞き、遊んでいたりしたにも関わらず、結局、自分に矢印が向いて話聞けていないなと。チェックアウトの場で、心を置けていないなと思い、涙が出てきました」

そして、考えたのは、自分から抜け出す、ということ。

「その経験を経て、自分が一歩ステージが上がった気はするけれど、自分が、自分が・・という部分から抜け出さなくてはいけない。抜け出した方がいいんだろうなと思うようになったんです。だから、人を信頼する、他者を信頼する、他者と共に何かする、他者に頼る、任せる、相談するとかを、どうやったら実現できるか、もっと考えたいし、探究したいです。」

高知のプログラムにて


誰とやっているか見えない

また、仕事でも、他者を意識できていないと思ったきっかけがあります。

1月から3月でコミュニティマネジメントの勉強会に参加していたときのこと。

この勉強会は、組織のビジョン・ミッションをどのように作るか、新たな仲間をどのように巻き込むかなど、強い組織をつくるための手段やフレームワークを学ぶ場だったといいます。

「勉強会の最後に、自分の所属する団体について、ビジョン・ミッションや、組織図、事業内容などを話す時間がありました。自分の話に対するフィードバックで、スタッフの方から、池ちゃんの話していることは誰とやっているかが見えないと言われたんです」

そこでまた、他者について考えが及んでいなかったことに気づかされます。

「自分の中で世界を膨らませて、それを表現することは、その場ではできたけれど、誰とやっているのかと言われた時に、考えていなかったと思ったんです。身近なことで言うと、任せることとか、抽象度を上げると、誰とやるのかなどの考えが抜けていることに気づかされました。」

とはいえ、誰かに任せるというのは簡単ではない。まさに言うは易し行うは難し。

「文章で伝わる子もいれば視覚化しなければ伝わらない子もいます。学習や教育って経験則になってしまいがちですが、軸となる理論があります。何かを仕組みをつくるとか、子どもと関わるとかなった時に、そこのインプットがまず必要になってきます。」

今、池ちゃんは、学習プログラムに関して、全体を見る位置にいる。そのため、様々な業務や意見が、池ちゃんのもとに集まります。集まる意見は、スタッフの研修とか、来月からの開館した後の授業をどうするかとか、オンラインの自習室どうするかなど、多岐にわたります。

「様々な業務を全部自分で考えるのは無理だから、インターンや同僚に任せるのですが、それが難しくて…丸投げになるとダメだなと思って、丁寧にしなきゃとは思うけれど、丁寧にしている時間はないしなと思ったり。結局自分でやっちゃうこともあります。」

とはいえ、任せないと育たない・・・だからこそ、わかりやすいタスクから任せて、思考の余地ができるようなタスクから任せるようにしているのだと、池ちゃんは話します。


ちゃんと生活をしたい、ちゃんと人間になりたい

最後に、仕事以外の生活面について。

最近、料理を始めたという池ちゃん。元々自炊用の本は買っていたけれど、3月に入ってから始めたのだとか。料理を始めた理由は2つあると話してくれました。

「1つは自粛期間で暇になったから。それまでは休みの日はセミナー行ったり、インプットのために、学びに行っていました。ただ、外にいけないし、家にいるしかない。家にいると、本を読むぐらいしかなく…料理できるなと思ったんです」

池ちゃん作


「もう一つ、ちゃんと生活したい、ちゃんと人間になりたいと思ったんです」

”ちゃんと人間になりたい”という強烈なパンチライン。そこには、池ちゃんが、今までしたいと思っていたけれど、できていなかった生活の仕方への思いがあります。

「それまでは、ご飯は、お弁当屋さんで買ったものとか、コンビニで買ったものとかで。

後、家は寝てダラダラする場所みたいになっていて…こんな状況をどうにかしたいなとは、2020年の始めに思っていたんです。」

そうして考えたことが、ちゃんと生活をすること。

「生活のサイクルとしての料理・掃除・洗濯とかを、なあなあにしない、テキトーにやらずにいたいなと。生活するというのは自分を大切にすることにつながると思うんです。生活するが整っていないと人に対して、優しくするとか、気遣うとか、難しいのかもしれないと思って。だから、生活の一部として料理をているのかもしれません」

ちゃんと生活をすることは、ちゃんと人間になることにも繋がる。それはきっと、池ちゃんが考えている「他者」というキーワードにもつながってくるのかもしれません。


おわりに

約1年ぶりにあった池ちゃんは、変わらずに、教育に、子どもに向き合い続けていました。

一方で、他者への向き合い方や、子どもたちへの学習の届け方など、「変わらなくてはいけない」部分から、目をそらさずに、向き合い続けている、そんな姿に勇気をもらいました。

大変な状況であることは変わりないはずなのに、フランクに、優しく、語りかけてくれることに感謝をしつつ、また、話を聴いた時に、どんな物語を話してくれるのか、今から楽しみです。

(れい)


*portfolio


「今なら『先生』が選択肢の一つに」(2020年4月)

「白でも黒でもなく、グレーぐらいな感じでいたい」



春と呼ぶにはまだ早い、2月の下旬。よく晴れた、休日の昼間に。

いつも何かに取り組んでいて、いつも何かを考えている、そんなイメージがある。会うのは本当に久しぶり。久しぶりだけれど、その間も、きっと、何かに打ち込んでは、考えてきたのだろう、と勝手に思ってしまう。

「混沌とか迷い、模索中」

イマココの気持ちをそう答えてくれた。

大学の頃から、悩み、考え、行動してきたように思える彼女。社会人になっても、悩み、考えているのかもしれない。

今感じていること、考えていることを、話してくれた。


「やりたいことが色々出てきたり、本当にしたいことってなんだろうと考え始めたりしています」

社会人一年目。こばゆは、「人材系×広告」が強みで、主に採用ブランディングなどを行う企業で、ディレクターの仕事をしている。

「ちょっと前まで、なんとなくの人生設計をしていたのが崩れたので、また一から立て直しています。」

昨年思い描いていた社会人生活は、少し異なったものだったそうだ。

「仕事が仕事じゃないくらい楽しくしたいなと思っていて、色々な人とコラボしながら仕事したりとか、会社という枠ではなくて、色々行ったりきたりしながら、学びながらもやりたいなって。」

けれど、と続ける、

「若手だから経験もないし、言われたことをやらなきゃとか、思ってしまうこともあって…組織ってなんかこう大きいなって。」

自身のことを、従順にシステムを理解してやっていこうと思うタイプではない、そう話す、こばゆ。社会に出て、会社に出て、抱いた違和感を放っておくことはできない。

「『え、違うんじゃない!』と思ったら、『違う!違う!』と声を出すタイプなんです。子どもっぽいねと言われることもあるんですけれど。」

そう言って笑う。


ハッピーな働き方

こばゆが社会人になって抱く「違和感」その一つは、「線引き」や「関係」についてだという。

「たとえば、好きなお客さんだったら別に仕事じゃなくてプライベートでも仕事したいと思うじゃないですか。今は、明確にクライアント・発注先みたいな関係性で分かれていて、それがもったいないなとか思って。」

学生の時とは違う、線引きや関係を感じている。

「学生の時は、何にも染まらなかったというか、身分はなくて。でも社会人になったら、何々会社の誰々で、お客と自分、お金とアウトプットという関係で括られる。これ以上はお金がもらえないからやらないという線引きがあったり、お客様とのカジュアルな話がどこまで許されるんだろうなとか思ったりします。

線引きがうまくなくて、先輩からはプロ意識がないと言われたすることもあるのだとか。

線引きすることで、線引きから溢れてしまった要素は見えなくなってしまうので、 そういった線引き超えていくようなもっとハッピーな働き方ってあると思うんですけれどね、そう話す。


数値化されないところで生きていたい

社会人になり抱く違和感の理由を辿ると、大学生の時の働き方に行き着く。

「学生時代に自由に動きすぎた」と話すこばゆは、大学生の頃、民間の教育会社のリサーチ部門で仕事をしていた。

「学生だけのチームだったんですけど、自分たちで色々と考えて働いてました。モチベーションが上がらない場合、どうしようかとかも考えたり。自分の好きなプロジェクト、関心あることメインに、そこから全体に影響力を考えたりとか、得意なことをお互いお願いしあったりとかしていました。」

会社員じゃないので、収益性とか考えなくてよかったからかもしれないけれど、と付け加えつつも、その時の働き方に自由さを感じていた。

その時のことと、今の仕事を重ねると、どうしても、お金などの、”数値”という部分が目に入ってきてしまう。

「社会人になって、最終的にお金とか数値ではかられる社会なんだなと思って。数値とか出されると、それに従うしかない感じがして、嫌だなと。」 

こばゆは、入社前に会社の人事の人に、ある言葉を言われた。

「入社前に、会社の人事に、小林さんは一番掴めないねって言われたんです。白も黒も言えないめっちゃグレーみたいな感じで。」

そこに大して、自分でも変な納得感があるという。

「客観的にみたらそうかもしれないし、そうでないかもしれない。ただ、そのグレーぐらいな感じでいたいなと思っています。」


制度に組み込むこと

新しい環境で、新しいことを経験し、様々なことを感じている、こばゆ。ただ、状況を受け止めるだけではない。

実際に動き出していることが2つがある。

「社内の新卒の人事制度を提案したいなと考えています。『制度』とまではいかないんですけれど、同期とアンケートを集めて、次の研修とかに活かせる何かを提案したいなと思って」

こばゆがそう思うに至った背景には、同期の休職があったという。今は戻ってきた人も居るというものの、それを通して、マネジメントや、組織や人、その関係性について、考えた。

「今の子は弱いみたいに言われるかもしれないですけど、そういうことじゃないんじゃないかなと思っています。例えば、若い世代の価値観の変化と組織が合ってないのかなとか。社内制度をもっと変えないと、せっかく良い子を採用したりしても全然うまくいかないし、組織としても成長しないんじゃないのかな」

決して、「その子だけ」ではなく、周りの環境や制度も見て、起きている要因を考える。

そこは、もしかしたら、学生の頃から変わっていない、こばゆの信条に近い、考え方、なのかもしれない。

「今年の新卒はメンタルが弱い。自己肯定感が低いからこうなった、という声もあるのですけれど、そう思うんだったら制度に組み込んだほうがいいと思うんです。新卒に自分でどうにかしろというのは求めすぎているのかなって」

こばゆが、環境や制度、について考えるのは、学生時代、教育について、学び、活動してきたからかもなのかもしれない。

「教育やってきたからなのか、環境によって人生って左右されると思っているところがあります。例え、ある子がメンタル病んだりして、転職することになったとして、一見その子のせいだと思われるかもしれないけれど、実は会社とか仕事とかの相性にあるかもしれないと思うんです。そんな中で、その人の責任、自己責任にするのってひどいなって」

新卒の立場で分からない、と言いながらも、そこに、こばゆの意思を、確かに感じた気がした。


若手の革命軍

もう一つ、社外での取り組みがある。

「QWSでプロジェクトをできたらなと」

QWSとは、昨年オープンした渋谷スクランブルスクエア内にある施設。「問い」をもとに、様々な領域の人が集まってプロジェクトを行なっている。

次が第三期で、新しくプロジェクトを募集しているという。

「新卒入社の同期とかが、会社に合わなくてフラストレーションを抱えていて、それを解決したいなと思って。」

若手の革命軍みたいな、と笑いながら話す。

「そんなラディカルな感じで考えてはいないんですけれど笑、若手の会社の意見を集めて第三者としてまとめて、経営陣に上げて、新しい方向性を打ち出せると良いなとか考えています」

第三者、というところが一つのポイントなのだとか。

「社内の若手が言っても、利害関係とかあって難しいから、第三者の立場で提案することが良いんじゃないのかなって。組織が良い方向にいくにはどうしたら良いんだろうなと考えた時に、それが一番現実的にできるプロジェクトなんじゃないかなって思いました。」


イメージで考える

こばゆは自身のことを、適度にフラフラしているのが好き、という。

「私、物事を完全に遂行するの苦手なんですよ。アイディアはパッと出てくるんですけれど、一気通貫した感じでやってきたのが高校受験ぐらいなんです。」

それ以降は、自由に、関わりたい範囲で関わることが多いと話す。

「後、最近気がついたんですけれど、私、思考が言語ではなくイメージで出てくるんです。考える時は、言葉ももちろん出てくるんですけれど、イメージで出てくることが多いです。」

そう言って、小学校の時のエピソードを話してくれた。

「小学校の時、朝の運動時間があって、その時間に、何をするのか決める役だったんです。ある朝、霧が出たんですけれど、ふわっと、この霧の中で鬼ごっこしたら楽しそうと、頭の中で、みんなで霧の中で鬼ごっこしている瞬間が浮かんだんです。見えるか、見えないか、その状態がめっちゃ楽しいだろうなと」

こばゆの、その、イメージで捉える習性は、日常の場面、例えば服を選ぶ際にもあるという。

「服を選ぶ際も、色と配置を頭の中で考えます。この配置でこういう感じの雰囲気が良いんじゃないかと、いろんなパターンをやっていくと経験値がつまれて、その中で頭の中でイメージが浮かんでくるんです。」

一方で、その自身が考えているイメージを、他の人に伝えることはそう簡単ではないのだとか。

「イメージを具体化して他の人に伝えるというところで、何段階か必要になってきます。イメージを言語化して、伝えることをもうちょっとがんばりたい。体験の言語化TAでもあったので。」


その際、こばゆが思い浮かべる、概念がある。

それが、山田夏子さんという、グラフィックファシリテーションの第一人者の方から聞いた、「3つの現実レベル」というもの。

「現実は三つに分けられていて、それは、合意的現実レベル、ドリーミング・レベル、エッセンス・レベルだと言います。合意的現実レベルは、数字とかズレがないもの。ドリーミング・レベルは、言葉にはなっているもので、気持ちとか、ざっくり共有できるもの。エッセンス・レベルは直感とかイメージとか。」

こばゆが描いてくれた概念図


もともとは、アーノルドミンデルさんという方が提唱している概念。その方が、紛争解決に従事されていて、何で対立が起きるのかを考えた際、イメージや言語が、共有できていないからと至ったそう。

その「3つの現実レベル」について、特にこばゆが面白いと思うのは、それぞれの階層が超えられていくところ。

「体験の言語は、エッセンス・レベルをドリーミング・レベルにする。グラレコは言語化されたものを絵にする。そういうそれぞれの階層が超えていくところが面白い。」


面白いだけでもなく、そこには、憧れの感情もある。

「そういった階層を、全部繋いでいけるというか、言葉にできる人というか、そういう人が私にとってかっこいいなと思える人です。」

そして、こばゆ自身も、そういった人になりたい、という。

「クリエイティブとかも言葉をアウトプットしたり、コンセプトをデザインしたり、一段階超える感じがあって。社会的なデザインとかも方向性を形にしたりとかあって、そこら辺を何となくやりたい。ただ、いつもやりたいわけではないんですけれど、気まぐれ?そういうのをやりたい時もある」

何となく、やりたい時もある、言葉としては柔らかく聞こえるけれど、そこには、こばゆの目指している姿や、今後の意思が少しだけ垣間見える。

「数値を第一に考えている人に対しても、ぎゃふんと言わせられるようになりたい。」

最後に、話してくれたこの言葉に、こばゆの今の想いが凝縮されている気がした。


***

Annotation & Portfolio

・体験の言語化
こばゆがTAをしていた、早稲田大学の授業。やや形式ばった説明をすると、「『自分が心に引っかかった体験』を思い起こし、その体験を改めて捉えなおす中で、個人の体験を単なる個人的な経験ではなく、社会の課題に結びつけ、『自己を社会に文脈化する』思考プロセスを学ぶもの。(https://www.waseda.jp/inst/wavoc/contextualize/))

・山口周さん
独立研究者で、『ニュータイプの時代』等の本を書かれている方。”数値化できないこと”という部分は、山口さんの話も参考にしているのだとか。

・写真
こばゆが最近撮った写真。味が出ていて素敵。

写ルンです、で撮ったという写真。

紅葉。

透ける感じが好きだという。

十和田市現代美術館にあるアート。2番目に好きな作品だという。肩車している人が上から下まで連なっている。輪廻がテーマで、こうして人から人に繋がっていく。「そう考えると、自分がしていることが儚すぎると思えてきます笑」と話す。

直島にあるアート。人が一日していることが、光ったり、消えたりして表現されている。「基本、人間って、単純なことをしているなって思ったりして、面白い。世界の縮図のよう。これを見るためだけに、直島に行っても良い」と話す。スマホの壁紙にしているそう。

***

おわりに

こばゆと初めて会ったのは、確か早稲田大学で中学生向けのキャリア教育イベントを企画していた時。それから5年ぐらいが経ち、当時イベントに来てくれていた中学生も大学生になる頃。そのように考えると、時間の流れは恐ろしい程に早い…

「仕事が仕事じゃないくらい楽しくしたい」「色々な人とコラボしながら仕事したい」そう話してくれたけれど、僕自身も、いつか、何らかの形で、一緒にこばゆと仕事をしたいなと、勇気をもらいました。

(れい)

「楽しく自己表現できること」



夜の渋谷。
普段からカオスな渋谷が、更にカオスさを増していく、そんな時間帯に。


しっかり話を聞くのは、本当に久しぶり。気がつくと、僕は社会人になっていて、その間に彼も色々な場所で様々な経験をしていたよう。


「ひたすらに楽しいですね」

イマココの気持ちを、躊躇わずに、真っ直ぐに、そう答えてくれた。今年の春に大学を卒業し、社会人になった、にっしー。今は都内のIT企業にて、アプリを使ったヘルスケア事業に携わっている。

仕事とプライベート、どちらも充実している。特に仕事が充実している背景には3つ要因があると話す。

「一つ目は成長実感ですね。一定チャレンジングなタスクやアサインはあるのだけれど、それを通して、一つ一つできなかったことができるようになる、成長実感があります。」

たくさん失敗して良いし、挑戦して良いし、その過程で成長していく風土があるという。

「二つ目は、一緒に働くメンバー。メンバーが尊敬できて、一緒に働けてよかった、そう思える方が本当に多いんです。」

上司やメンバーは自分がどうしたいのか、どういう状況で何に悩んでいるのかにちゃんとフォーカスしてくれる。しかし、一方的に、相談に乗ってもらうだけの関係ではない。

「すっごく生意気なんですけれど、上司が苦手な部分を自分がサポートできている実感があります。」

上司はビジョンや夢を描くのが得意。一方で、にっしーは、実現するためにはどうすればよいか、細かく実行していくのが得意。合わさるとちょうど良い関係になっている。

「お互い信頼しあって仕事している感覚。信頼というのはキーワードかもしれないです」

そう話す。


「三つ目は、自分のやっている仕事がたとえ小さくても、ユーザーや社会のためになってる実感があることです。」

例えば、と続ける。

「アプリを使っているユーザーと対面し、声を聞いて反映する。その結果、ユーザーの健康に少しでも貢献できたり、実際に数字が伸びたりするのが嬉しいんです。」

もう一つ、にっしーが社内で行なっていることがある。

「コーチングのプロジェクトを社内で立ち上げています。」

大学の時、人材開発(コーチング)を専攻していた、にっしー。

「毎週一時間、コーチングを受けたいという方々と定期的にセッションをして、その方々の変化に携われるのが嬉しい」

そう言って、笑う。


楽しく自己表現できる社会

今、にっしーには抱えている想いがある。

「世の中に生きる人々がより自分に自信を持ったり、自己肯定感を持って、楽しく自己表現しながら生きられる。そんな社会をつくっていきたい」

そして、そのために、今の活動が繋がっていっている感覚がある。

「今は小さなアクション、コーチングやアプリの改善だけれど、将来的に目指したいこと、人々の自己表現を支える仕組みを作るというところに一歩づつ近づいている感覚があって楽しい」


カルチャーになる

話は趣味のことに移っていった。

趣味がカルチャー全般で、特に音楽とかアートが好き、と話すにっしー。そもそも、にっしーにとって、カルチャーとは何なのか、何で好きなのか、話してくれた。

「カルチャーがなんで好きか。もちろんコンテンツとしての魅力もありますが、あえて哲学っぽく言うと、人々の自己表現の塊がカルチャーになる。。同じ表現なんて一つもないじゃないですか。表現として生まれた音楽やアート、ファッション、また個々人の感情や思想が何らかの形で集合する中で自然と、もしくは意図的に区分けされることによってカルチャーが生まれるわけですよ」

例えば、と話を続ける。

「きゃりーぱみゅぱみゅみたいな服装の人が一人しかいなければカルチャーにはならないけど、それが大勢集まったらきゃりー系の原宿カルチャーになるみたいな。その中で、僕はそのカルチャーの全体観にも興味があるし、一人一人がどういう自己表現がしたくて、どうすれば実現できるのかを考えるのが好き」

サブカルとかアート、音楽が好きで、そこに時間を使えていること。その状態こそが、にっしー自身も自己表現ができる感覚なのだとか。

「それが自分の成し遂げたい目標とも繋がっている実感があって生きれています」

外では、仕事終わりにライブハウスに行ったり、休みの日にフェスに出かけたり。家では仲良い友人とラジオやったり、ひたすらゴロゴロして雑誌や映画を見まくったり。仕事とは全く関わりがない人と交流するのが楽しいですね。

今年参加したフジロック。友人たちと。


一方で、それらを、仕事としていくことには、怖さみたいなのがあると話す。

「ディズニーランドを愛する人全員がオリエンタルランドに入りたいわけではないですよね。そんな感じ。単純にく「好き」という感覚が強いんですよね」 

にっしーにとって、趣味という感覚が一番良い距離感。

「現実的な数字とか売り上げとか実績とかになった際に、苦しくなるんじゃないかと思って…今のところは趣味でやっているのがしっくりきている。じゃあ仕事はなんなのかってなった時に、そこじゃない部分の自己表現、人材開発とかがしっくりくる」

現地のサブカル音楽を求めて東南アジア一周したときの写真(カンボジアの音楽バーのマスターと)


人材開発に携わっていきたい、にっしー。今自身が携わっているヘルスケア関連の事業はどう捉えているのか、気になった。

「よく聞かれることが、人材開発系やりたいなら、なんで人事部行かなかったの、とか人材系の会社にいかなかったの、とか」

ただそこには、にっしーにとって、歩みたいステップがある。

「会社という枠組みで組織開発や人材開発をやりたいですとなった時、その前段としてまず会社が持っている事業を理解するのって大事だなと思うんです。端的に言うとどうやって稼ぐの?とか、グロースさせるの?とか、ちゃんと考えていないと説得力や納得感ないなと思って。」

納得感の理由を更に話してくれた。

「なんでかって言うと、もちろん社会貢献も目指しますが、極論会社って事業を成長させて、利潤を上げるためにあるわけじゃないですか。人じゃなくて事業を成長させるところもちゃんと学んでおいた方が、最終的に自分が人や組織にアプローチする時に、色々できることが増えそうだなって思ったんです」

だから、今の会社でも、新規事業よりのところを志望して、一から組織や事業を作っていくところを現場で感じたかったのだと話す。それがうちの会社だとたまたまヘルスケアだったんです。

「会社をやる以上、事業と人・組織は繋がっていて完全に分けるのは難しいと思うんですよ。例えるなら、自転車が会社だとすると、前輪がビジネス・事業で、後輪が組織・人。後輪の人とか組織を良くしていく人になりたいけれど、まずは前輪のビジネス・事業を理解しておかないと、うまく回らないと思うんです。」

理想は組織もちゃんとまわって、事業もちゃんと回る、この2つがちゃんとまわるとみんなハッピー、そう話す。

そして、その2つに対して、にっしー自身がどのように関わっていきたいか、時間軸と共に未来の像がある。

「目安としてわかりやすい指標としては、20代は事業にファーカスして、30代は組織や人、40代以降はその先にあるもっと根深い社会課題(今の自分が見えていないもの含め)にフォーカスしたい。本当に自分が解決したい課題が明確になってきた頃、「自己表現」や「楽しい」とも絡めながら、その課題全体を解決できる仕組みを作れる人になりたいですね」


渋谷だから、しょうがない

カルチャーを語る上で、渋谷は避けては通れない。にっしーが今働く渋谷は、まさしくカルチャーそのものだ。

「働く環境が渋谷なので、カルチャーに溢れているじゃないですか。面白い街にいると思うんです。」

例えば、センター街やハチ公前。確かに、そこには、外国人から女子高生から、飲んだくれているおじさんからナンパしている人まで色々な人がいて。でも逆に奥渋なんかはすごく落ち着いた雰囲気だったりする。渋谷の街ではなんだかカオスに、みんな、好きに楽しんで生きているのが見てとれる。

「交わっているのか、交わってないのか分からない。その絶妙な感じ。渋谷だからしょうがないか、オッケーだよねと言われることが多いと思うんです。同じことを清澄白河でやったら、は?ってなるわけ。でも、渋谷なら許される。そのカオスさが渋谷の良さであり、魅力だと思います。」

一歩外を出れば、そこはカルチャーで満たされている。その環境は、まさしく、にっしーにピッタリな世界に違いないだろう。

渋谷にて

ワーク100 ライフ100

正直あんまり人と比べない、と話す、にっしー。

ロールモデルみたいな人はいるのか、聞いたら、少し困った様子で考えた末に答えてくれた。

「尊敬している人はいるけれど、憧れはいない…憧れはその人になりたい、重ねていることになる。その状態は、あんまり無いですね」

そこには、にっしーの中に、根本、僕とあなたは違うと思っている、という考えがあるからだ。

「変に重ねたり、その人になろう、じゃなくてその人らしさに興味がある。だから、自己表現というワードにつながる」

一方で、この人のこの部分は「憧れる」、そういう文脈で話してくれたのは、大学在学時、海外インターン中に出会ったホストファーザー。

「フィリピン系のアメリカ人で、世界的にも有名な企業で熱心に働いている方でした。」

にっしーは、その方の家で5週間ぐらいホームステイをした。

「その方は、仕事の上では、自分のミッションとか社会への課題意識をすごく持って、自分なりの意見も持っているし、他者の話を聞いてコラボレーションもするし、とにかくバランス感がすごかったです。」

しかし、熱心に仕事はやるが、それだけではない。

「家に帰った瞬間、仕事はどうでもよくて、趣味と家族のことしか考えない。そのオンオフがすごく良い。」

ホームファザー・マザーとルームメイト(シアトルにて)


「どっちが大切なんですか、とか、あなたの人生で何が大切なのですか、と聞いた時にそれはもちろん家族だよと言うんです。根本、家族が大事で、外にいったら仕事に集中!それにすごく共感しました」

にっしーが、共感をした背景には、どっちも大切にし続けるということに対しての諦めがあったからだと話す。

「どっちかになるだろうと、100、100は無理だろうと思っていたんです。正直、その辺にいる(敢えてそういう言葉を使うと)仕事にしか興味がない身勝手な『おっさん』とか、会社は大事かもしれないけれど、パートナーのことをちゃんと考えているのかとか分からないし、子どもにもただ自分の考えを押し付けているだけだったりするし。。」

その考えを、良い意味で壊してくれたのが、ホストファーザーだった。

「その人はちゃんと、どっちも全力。全力で楽しくやっている。かといって自分を殺しているわけではない。自分のありたい姿です、みたいなのが伝わってきました。」


「最近ワークとライフが繋がっていて、それが良いと言う人もいるじゃないですか。それのイメージは、ワークとライフが繋がって、100と100で常に200です、というイメージなんですよ。」

ただ、にっしーの考えは、そのよくある一般のイメージとは少し異なる。

「僕としては、そこは繋がる必要がなくて、ワーク100、ライフ100、合計200みたいな感覚。別の世界観の方が、なんか僕は楽ですね。」

そして、その考え方は、今の会社に入った理由にも関わってくるという。

「仕事だけじゃなく、プライベートでも社員と繋がるべきみたいな会社もあると思います。、でも今の会社は、みんな自分の生活あるじゃんみたいな感じ。そもそも飲み会がそんなに無いし、あっても飲みたい人が好きで飲んでいるだけ。強制する雰囲気はまったくない。ある種欧米的な雰囲気だなと思うし、気楽で生きやすいんです。」


最後に、にっしーなりの自己表現について聞いてみた。

「今やりたいことがちゃんとできていることが自己表現に直結している。自分が体現してる、〜が好き!興味がある!と人に伝えられることが大事。まさに今の自分を楽しく話していること、この状態が自己表現できている感覚です」

「伝えるプロになる」


秋の夜。夏の暑さがまだ残る10月、渋谷の街で。

「はるならしい選択」言葉にするとシンプル。シンプルだけれど、きっと、それだけではない、背景にある葛藤とか決意とか経緯とか、そして今何を想っているのか、聞きたくて、会いに行きました。

「あんまりポジティブではないかもしれない。」

イマココの気持ちをそう答えてくれた、はるな。ポジティブとネガティブがグルグルと回っている感じ、だと話す。

話を聞いていくと、決してポジティブだけではない、強い意思の奥にある想いが見え隠れする。



はるなの今の職場は、途上国でストーリーあるモノづくりを貫くブランド。その中で、ブランドのストーリーを伝えていくこと。

今の仕事に転職をして約8ヶ月が経つ。

「転職して新しい部署に異動して、自分がやりたいと思っていたことが全部詰まっていて、めちゃくちゃ嬉しくて。飛び上がるぐらい嬉しかった。」

けれど、、とはるなは続ける。

「今のプロジェクトに関わっている他の社員は、社歴があったり経験を積んでいたりするんです。何で自分なんだろうって不安を抱えたりもする。」

はるなが今関わっているのは、新しいブランドの立ち上げフェーズ。そのブランドの新しいお店は3人体制。少数精鋭のチームで取り組んでいる。前職のファッションに関する経験の軸や、好奇心みたいな主体性の強さを見て、選んでくれたのだろう。だからこそ、選んでくれた人への想いがある。

「選んだ人に人選ミスだったと思われないように、と思ってがんばっているけれど、それで頭がコチコチになって抜け漏れが増えて、、もっとがんばんなきゃなって」

今のところ全然やれていないと話す。

「ひとりひとりが、しっかりやらないと回らない。自分がちゃんとしないと後の二人に迷惑をかけてしまう。だから、もっともっと成長しなきゃというのが強くて、ただ何をどう成長したらよいのかみたいなのも手探りで…」

一回り経験していたら想定できることがまだ一回りできていないから全然気が回らない。それでも、日頃感じているのは、届けられるものの安心感

「自信を持って届けられるから」

根底にその感覚があるから、がんばっているし、もっと成長して、がんばろう、と思えるのかもしれない。


大号泣した最終面接

「前の会社も挫折に近かったんです。」

自分のダメなところを副社長や上の人たちが見てくれていて、そこは変われるチャンスなのかなと話す。

そう思うに至ったのは、今の会社の最終面接で、副社長に言われた言葉にあった。

「今の会社の最終面接で副社長に、『声と意思だけが強い人間でこのまま終わっちゃうよ』と言われたんです。最終面接で大号泣したんですけれど、その時に言われたのが、『伝えるプロになれ』ということでした。」

その言葉を受けて、それ以来「伝えること」についてずっと考えているそう。伝えるというのもいろいろな対象があるし、いろいろな方面がある。伝える相手も対チームも対お客様に対しても、対大きい会社の組織全体にも。

どうやって伝えるか、どうやったら伝わるか、もっと考えて伝えるプロになりなさい、そういうメッセージを受け取った。

「その時はなんだかよく分からなかったけれど、その言葉だけはめちゃめちゃ印象に残っていた。今転職してちょうど8ヶ月になるけれど、伝えるプロって何だろうとめちゃめちゃ考えています。」

それ以来、伝えることについて考えている、はるな。伝えると一口にいっても、様々なプロセスや確認が必要と気がつく。

「伝えるプロになるために 伝えるためのプロセスがあったり、ちゃんとそれが伝わっているかの確認だったり、そういうのをちゃんとやっていくことがプロなんだろうなって。」

本当にそれがまだできていなくて、はるなは話す。

「伝え方もネガティブに伝えるのではなくて、楽しく無いと伝わらないから、それをどう楽しく伝えられるかみたいな。後は、もの自体がワクワクするものでないととは思います」

「伝える」を考えることは続く。


ものが持つ可能性を伝えたい

そもそも、はるなが”伝えたいこと”とは何なのか

「純粋に旅とかしてきたから、世界の美しいできごととか自然とか、逆にミクロネシアとか行って感じた社会の違和感とかモヤモヤを伝えたい。」

はるなは大学生の時も、そして社会人になってからも、よく旅をする。自分の目で見て、耳で聞いて、手で触れて、感じてきた、世界がある。だからこそ、考えている想いがあるのだろう。

「もうちょっと、ひとりひとりが日常の選択を責任を持ってできるような、服を一つ買うにしても食べ物にしても、どうやってこれはここまでやってきたんだろうと想像を膨らませられるような心の余白をつくること、自分の一つの選択が世界を変えるというか、そういうのを思って欲しいんです。」

「ウールを巡る旅」NZのファームステイにて

もう一つ、想うことがある。

「純粋に手仕事とか好きだから、ものがもつ可能性みたいなのも伝えたい。」

はるなが「もののもつ可能性」について、感じた10年程前に起きたきっかけを話してくれた。

母親が十年ぐらい前に、今働いてる会社について、テレビで見て感銘を受けて、中学生の時にはるなも一緒に買いに行ったのだとか。

「もともとうちの母親は、ブランドものとか興味ない人なんだけれど、そこのバッグを持つと誇らしい気持ちになると言っていて、”もののちから”みないなものを感じたんです。」

ものを持つことは、自信につながる、そう感じた。そんな母親は、はるなにとって、価値観が形作られる上で、一番影響を受けた人。

「その時の自分にとっては母親の価値観が割と絶対的なところがあって。まだ他の価値観を知らないから…その価値観が絶対正しいと思い込んでいたみたいなことは思っているかもしれない」

めちゃくちゃ感謝していると話す。一方で、それだけではない、とも感じている。

「母親から、めちゃめちゃ影響は受けているけれど、それだけじゃない。ちゃんと自分で選んだとも思っている」

そう言って、笑う。


もので、つながる

今度は、はるな自身が感じた、「ものの持つ可能性」について、素敵な話をしてくれた。

「もので、つながることがいっぱいあったんです」

そう言って見せてくれたのが、その日つけていた鮮やかな赤色が素敵なピアス。名前をOCICAという。


(http://www.ocica.jp/index.htmlより)

東日本大震災で被災した宮城のお母さんたちが作っているもので、鹿の角を使って作られてる。

「たまたま雑貨屋さんかどっかで見つけたんです。その時は可愛いなって思って手に取ったけれど、その時はまだピアス開けていなかったから残念だと思って。帰り道に調べてみたら大学のOBの人が携わっていて、色々調べていったら高野先生のゼミに辿り着いた。」

はるなが辿り着いたのは、『世界が仕事場』という授業。

「いろいろな人と会えたのもそのアクセサリーがきっかけ。世界が仕事場の授業を受けたのも、とにかく高野先生に会いたかったから。」

そうすれば、OCICAをやっている、友廣さんという人に、会えるかなとも思ったそう。

「実際に高野先生の授業を受けて特別講師に友廣さんを呼んで会えて、その後も、ヤップに行ったり、グリーンズでインターンしたりどんどん広がっていった。」

はるなが、サステビリティとかソーシャルデザインについて知ったのも、OCICAのアクセサリーがきっかけ。

「OCICAを調べていたらグリーンズというメディアの記事で紹介されているのを見つけました。このサイト良いサイトだなと思って、見てたらインターンをやっていたことを知ったんです。」

実際にインターンに応募して、そこからソーシャルデザインのこととかも知るようになったのだとか。

「このアクセサリーそんなに高くなくて。5000円ぐらいのアクセサリーから世界が広がったんだと思うと、すごい、もののちからを感じる。ものに力があるんだなって改めて思う。」

偶然の出会いのはじまりは、一つのアクセサリー。それをつけたいがために、ピアス穴もあけたそうだ。

ミクロネシアでホストファミリーと


つくってみたからこそ、わかること

「ものの持つ可能性を伝えたい」そう話す、はるな自身は何かをつくらないのだろうか。

手先が器用で無いから続かない、そう答えたものの、自分でも色々つくっているよう。

「趣味で服をつくったり。前職で仲良くなったお客さんが服をつくれる人で、高円寺の家まで行って教えてもらったりしていました。」

自分がつくれなくなったらミシンあげるわといってもらえたりもしたそうだ。ただ、実際に自分でつくってみて、分かることがある

「作るには作るけれど粗いというか最後まで神経を研ぎ澄ませられない。つくるのってすごい疲れるなって。」

つくってみたからこその職人さんへのリスペクトを感じるのだろう。

洋服以外にも挑戦していることがある。その一つが野菜。

「実家の花壇を勝手に畑に変えてしまって笑。じゃがいもとにんじんと大根とキャベツ、後コットンを育てていた。コットンは5年ぐらいずっと育てているから、なれてきた感はあるのだけれど大根とか一週間手を抜いたら全部虫に食べられちゃって農家さんってすごいなあって。」

これも、やってみなければ分からないと感じていること。

「一応トライはしているけれど向いていないなって。職業としてやっている人はすごい。」

はるなは世界中の工場によく足を運ぶ。転職する合間にもインドネシアに行って、ジュエリーつくっている職人さんに会っていた。

近々は現場インドの工場にも行こうと思っているのだとか。今はそれがちゃんとできる環境なのもありがたい、と話す。

「会いたいですって人事に言ったらいいですよって言ってくれた。実際に会ってみたり経験してみたりしないと、わたしは分からないから。」

自分の手で、つくってみる。自分の目で、職人さんがつくっている現場を見る。それを重ねてきた、はるなだからこそ感じる、ものづくりへの向き合い方なのかもしれない。

グアテマラの手仕事を巡る旅


思いついてしまった、いいこと

「最近ちょっといいこと思いついてしまって…」

全然実現するか分からないけれど、という前置きをしながら、今やりたいこととして、話してくれたのは、母親のニット編み物のお話。

「母親がニット編み物がめちゃくちゃ上手で、小さい頃から編んでいて。最近もすごいかわいい私のセーターを編んでくれたり。結構レベルが高い編み物なんです。」

そんな母親の編み物を販売するお手伝いをしたいと、はるなは、ずっと思っていた。

「ずーっと半年ぐらい話していたんだけれど、うーんみたいな反応をされていて。。節々にやりたいみたいな感じは出ていて、ただ自分に自信がないみたいな感じ。ただ、この前テレビでお庭で編み物しているテレビの映像があって、わたしもこういうのしたいなって、言っているのを聞いて、やっぱりやろうと、話して。今それで何かできたらなって思っています。」

はるながこのタイミングでお手伝いをしたいと考えるようになったのには、ずっと母親を見ていたからこその、娘としての、想い、願いが込められている。

「最近、本人に立て続けに悪いことが起きて、空っぽみたいな状態で。割と今までずっと、人のために生きてきた人だったから、自分のためにというか色々とこれからは人生楽しんで欲しいなと思って。」

一週間に一枚とか作って届けられたらなって思って、そう笑う。

それは母親だけではなく、娘のはるなにとっても挑戦だった。

「今はやっぱりブランドの箱の中で制約が多いから、そういう制約をとっぱらって自由にやるっていうのも良いなあと思って」

“制約”と”自由”。対照的なその言葉は、おそらく、”学生”と”社会人”、その対比にそのまま合わさるのかもしれない。

その背景には、学生の時にあった、本当になんでもありという、がむしゃら感が本当になくなっている感覚なのだろう。

「今でもふと思い出して楽しかったなあって思う時もあって。」

時には、自分たちがお手伝いして作ったお米を、学校に炊飯器を持ってきておにぎりを作っていたり、オルタナメンバーの一人の実家が神社で、そこで焚き火をしたら消防の人が来ちゃったこともあった(※許可は出していたそうです)

「なんでもありで、誰にも怒られない。あの時代の、がむしゃらで、自由な感じが無性に恋しくなる時がある。」

田植え体験


南米とスペイン語

はるな自身、今すぐでなく、少し先の未来にやりたいことがある。

「いつか自分の空間を持ちたくて、小さくてもよいけれどそこでいろんな人が集まって、そこでまた新しい発見がある。そういうキッカケになる場所を作りたいなって。」

それは、はるなが学生の時からずっと思っていること。しかし、考えている実現の形は少しずつ変わってきている。

「最近は、今いる会社が良いところだなって、つくづく思うから、そこでじっくりと形になることをしたいなとも」

もうひとつ。暮らす場所についても、考えていることがある。

「120歳ぐらいまで生きたいと思っているんだけれど、昔は80歳ぐらいで南米に行こうと思っていて。ただ、最近はもう少し前倒しでもいいかなって思って、それも仕事と掛け合わせられたら良いなと。」

はるなにとって南米は特別な場所。
力が漲ってくる場所で、色づかいとかも好きで、ワクワクする。
南米を感じたはじまりは、小学生の頃にさかのぼる。

「小学生の頃の異文化交流みたいな会があって、アンデスの音楽やっている人が来てダンスをやったり音楽していた。その時から南米行ってみたいなってずっと思っていた。」

そして大学に入って実際に訪れる。それだけではなく、スペイン語の感じがとても好きだと、スペイン語を専攻した。

スペイン語は好きな一方で、大学のテストでは苦戦していたのだとか

「テストの時、合格ライン60点に対して、多分50点ぐらいで、このままだと、ギリギリ落とすなと思って…」

はるなの所属する文化構想学部は、第二外国語の単位を落としたら、4年で卒業できなくなってしまう。

「やばいと思って、なぜか日本語で手書きで私がスペイン語を専攻した理由みたいな、なぜならペルーに行きたいからみたいなのを書いて、更にわたしのオススメの民芸品みたいなのも書いて出しました。それも、あえて手書きで書いてその方が伝わるかなって。後、あえて写真も印刷して切ってのりではって、提出したら単位取れて。無事4年で卒業できました笑」

ペルーにて。インターン先の仲間たちとのショートトリップ


好奇心のはじまり

様々な場所に行ったり、調べたり、つくったり、、はるなが、いろいろなことに興味を持つようになったのは、いつなのだろうか。

思い出すのは、高校生ぐらいの時。当時、部活に加えて、ダンススクールに通い始めた頃だった。

「本当はダンススクール一本にしたかったんだけれど、母親が絶対に部活は辞めるなと言い…結果的に続けてめちゃくちゃ良かったけれど、そのぐらいから、いろんなことに興味を持ちはじめて。」

高校の文化祭でもワークショップみたいなのを開いた。ランスのデコパッチという紙を使って木とか色々とデコレーションするツールを使ったワークショップだった。

「高校生だから言えば許してくれると思って。」

そう言って、会社に連絡して協賛して資材提供をしてもらったという。その時売り出し中のブランドだったから言えばやってくれるかなと思って頼んだらやってくれた。

「そのあたりからそのブランドも勢いがついて、今年注目のアイテム見たいな雑誌にも載り出して。それよりも先に目をつけられたみたいな喜びがあった。そのぐらいからバイヤーとか雑貨屋さんがやりたいと思うようになった」


もう1人、影響を受けている人物がいる。

宮﨑あおい、だ。

「めちゃめちゃ好きで。中学生ぐらいから。」

はるなは宮﨑あおいから、数えきれないくらいの影響を受けている。

海外に行くようになったのも、宮﨑あおいがきっかけ。あちこち海外に行っているのを見て、大人に、大学生ぐらいになったら、あちこち行きたいと思っていたのだそう。

「すごい影響を受けていて意外とミーハーな感じ。」

そう言って笑った顔は、憧れとも、ファンとも形容しがたい、特別のものだった。

「宮﨑あおいが雑貨屋さんやりたいって言っていたのとか、ポストカード集めるのが好きとか、全部真似したり、旅に行くときは必ず手作りのしおりを作る、みたいなのを言っていて、それは、わたしも徹底している。」

そして、それらは今はるなが取り組んでいることにもつながっている。
そう言って紹介してくれたのが、宮﨑あおいの本『たりないピース』

その本の中で、フェアトレードとか貧困とかが取り上げられていて、実際に宮﨑あおいが、インドやスラム街に行っている話がある。丁度そのくらいに母親がバッグ買ったのと同じぐらいで、タイミングが重なったのもあった。興味が益々広がっていった。

「まずは楽しいや可愛いからこの本を知って、それからどんどん、そういう分野に広がっていった。」

きっかけは意外とそんなもん、と笑う。

去年、この本作っている人にも偶然会うことができて、その際にも同じようなことを言われた。

「その企画をした人も、そういう風に思って、宮﨑あおいをその本の企画に起用したそうで、私もそれにまんまとハマって笑。でもそういう人が多いみたいで、エシカル界隈で活躍している人も結構この本がキッカケになったりしているみたい。」


自分のことをちゃんと伝える

話は、再び伝えることについて、に戻ってきた。

「自分のことって相手は分かるだろうって思うけれど、自分のことってちゃんと伝えられていないのかもしれない。全然伝え方って違うから。」

一方で、あんまり自分のことって話しすぎても、すごい自己主張の強い人だと思われたら嫌だなと思うとあんまり自分のことって話さなかったりする。

「この間も、コットンのタネが大量に手元にあるから、会社の人に配ろうと考えて。みんながコットン育てて学びになったら良いなと思ったから。その時に思ったのが、渡し方一つにしてもバックグラウンドを話した上で渡すのと、なんかよく分からないけれど渡すのでは全然伝わり方が違うなって。」

自分をちゃんと伝えるのを結構怖がる感覚、そういうのがある。ただ、それだけではない。はるなが伝えることを考える際に、気になってしまう人たちがいる。

「エシカル界隈のすごい人たちをみるとマルチにやっていてすごいなって思って虚しくなることが多くて…あの人たちは本当にすごいから、あそこまで行けていて、比べないようにしているけれど。」

それは、ふいに見せた、こころの声のような気がした。比べないようにしている、しているけれど、どこか目や耳には入ってきてしまうものなのかもしれない。ただ、分かった上で、それでも、伝えたいことや、想いがあるから、きっと、考え続けている。

「発信するのが上手い人たちはすごいなって思うけれど自分のペースでいきたいなって。」

その瞳は真っ直ぐ前を見ていた。


実際に、はるなは、焦りを感じている。

「転職も焦ったし、今も焦っているし、せっかちなのかもしれない。」

はるなが焦りを感じているのは、自分の目指したい理想とのギャップからかもしれない。

それを突き動かしているのは、やはり、ここでも周りの今までお世話になってきた人の存在。

「学生時代、いろいろな場所で、いろいろな人にお世話になっていて、その人たちに恥ずかしないように、その人たちからいっぱいよくしてもらったから、社会に還元できるようにならなきゃとか。」

逆に、最近自信が持てるようになってきて、だからこそ、久しぶりの人たちに偶然会うことが多くなったかもしれない、そう話す。



続けること

「仕事辞める時も自分なりですごい悩んで悩んで悩んで決めたつもりだったけれど、周りの人的には入社した時から、みんな分かってたらしくて、逆に悩んだの?みたいな。入った瞬間から辞めそうな空気プンプンしてたよみたいな。」

「はるならしい選択」周囲から見たイメージだと、確かにそう感じるのかもしれない。ただ、そこには当人にしか分からない葛藤があった。

その上で、はるなが、今思うのは続けること。

「続けなれば分からないこともあるのかなって。ダンスも幼稚園から大学生まで部活も中高と続けて、それによる自信もあったから。ちゃんと続けます。」



*Portfolio

#OCICA
#オルタナ
#Greenz
#『たりないピース』



「好きな場所、好きな空間がそこにある」

「楽しい」

イマココの気持ちを、そう答えてくれた、かずま。

「会社のチームの目標があって達成して嬉しい気持ち。良い感じです。」


かずまは今ECサイトの集客を支援する会社で仕事をしている。新卒で4月に入社したばかりだが、順調に働いているようだ。

もう一つ、仕事以外の活動のことも話してくれた。

「今、高知で社会人向けの対話プログラムを運営しています。」

始めたきっかけは、とある出逢い。

「学生の頃にしていた民泊の清掃会社のインターンで、違う事業部の先輩が転職して転職先でバーを始めたんです。志を持った若い人たちが集まる、かくれ架BASEというバーなんですけれど、そのバーのイベントでFactory Dialogの代表と会って、プログラム来てみる?と言われて、自分こんな感じなんで『行きます』ってなりました。」

そして、実際に参加して心が動いて、運営にも関わるようになったと話す。

「そのプログラムは、高知以外の色々な場所から参加者が集まってきて、二泊三日で人生の棚卸しと、今後どうしていくのかを参加者全員で考えていきます。生き方の再定義と呼んでいます。」

関わるのは、プログラムの時だけではない。先日、岡山県で、かずまと同じ運営のプロデューサーの人が行う合宿があり、そこで事業の未来とかを考えたりもしたそう。

メンバーとして参加したプログラムの様子


「そのプログラムの中で参加者の感情が動くんですけれど、その瞬間を見たり、カメラで撮ったりするのが好き。生きている実感 葛藤とかを感じるんです。」

そう言って、先日参加したプログラムで起きた参加者の葛藤が生まれた瞬間を話してくれた。

「自分が参加したプログラムで、ある宗教を信仰している人がいて、その人は今まで、愛するということを、当たり前として生きてきた、という話をプログラムの前半にしてくれたんです。一方で、その後に、対話を重ね、自分と向き合っていく中で、人を愛せない自分がいる、ということに気がついて、そこにぶつかった瞬間、すごい穏やかに見えたんだけれど涙が出ていました。その自分と深く向き合っている姿も、そこから出てくる涙にも心が動いたんです。」

参加者が自分自身と向き合い、葛藤し、何かが生まれた瞬間、それを重ねていくうちに、かずま自身が、そのプログラム・場自体に惹かれていったのだろう。

「自分と向き合ったり、それを人に話して受け止められる場って素敵だなって思います。」


自分たちの人生も問われている感覚


プログラムとして、参加者に生き方を問う場を作っている一方で、問われているのは、参加者だけではないとも感じている。

「自分たち運営って、他人に対して自分とか人生を問う場を作っているのですが、それってなんかこう、逆に自分たちの人生も問われている感覚もあるんです。」

例えば、先述の人を愛することに葛藤が生まれた参加者の話。かずま自身も、基本的に人が好きで、人のことを好きでいたい。好意的な感情を持っていたい一方で、そうなれない自分がいるとも思っている。プログラム中に、その参加者の話を聞いた時、感動した一方で、自分はどうなんだと自分自身に問いたという。

「人に問いかけるのってイージーじゃないですか。でもそれを通じて、改めて自分がどうなのかって問われる気がするんです。」


人の想い、感情のこもったものを、もっと世の中に届けたい


高知のプログラムを運営している一方で、普段の仕事はECサイトの集客支援。

一見、リアルな場と、ネットの場、対極に見えるが、かずまの中で、それぞれはどのような位置付けなのだろうか。

「根本にあるのが、人の想い、感情のこもったものが、世の中にもっと溢れたら、もっと幸せになると思っています。」

直接的にそういう場を作るのが高知だと話す。

運営として参加したプログラム


「高知のプログラムは、想いとか感情とかをぶつけられる場所です。」

一方で、今やっている仕事は、ECサイトの集客支援で、メインのお客さんは、中小企業の人。まだ世の中にあまり知られていないけど、素敵な商品を作っている人たちって地方にも東京にもいる。

仕事としては、”広告を出す”ということ。しかし、広告を出すことで、エンドユーザーにも目に触れられる機会を作れるし、使っているユーザーにとっても、自分たちの好きな商品が世の中にも広がっていくことにもなる、と話す。

「上手くいくと、自分たちの好きな、想いのこもっているものが、世の中に広がっていく、流通していく。”これでも良い”、”あれでも良い”、という商品ではなくて、これじゃなきゃダメという商品、唯一性のある、想いのかかった商品を広げる手助けするものを、作っているという気持ちでやっています。」

だから、対極と言われることは多いけれど、根本は似ていると話す。

そして、その”住み分け”に、一定、すごく満足しているという。

「場づくりだけだと、広げられる限界がある。一方で、マーケティングだけだと、自分の手触り感が中々持てない。仕事、仕事外含めて、両方できているので満足。」


言葉にできたのは、本当に最近


”人の想い、感情のこもったものを、もっと世の中に広げること”その想い自体は持っていたが、言語化をできたのは、最近だと話す。

「ぼんやりと思っていたのは大学生の始めに、フィリピンに行った後でした。ただ、言葉にするのが苦手なので、言葉にはできていなかったけれど、根底にはそういう思いがありました。言葉にでき始めたのは本当に最近で、それこそ、高知のプログラムで対話を重ねて言葉になっていきました。」

そうして言語化してみることで、今までかずま自身がしてきたことと、それに惹かれていた自分の感情が繋がっていった。

「自分が東南アジアが好きというのも、人の感情を生で感じられる機会が多かったからとか思ったり、Learning for Allで子どもと関わっていたのも、似たような想いがあったのではないかなとか」

それは、ポジティブな感情だけではなく、自分が苦しかった感情を振り返ってみた時にも通じる。

「民泊会社でのインターンが苦しかったのも、自分の感情が付いて行かなかったし、他人からの感情も受け取れなかったというのも大きかったのかもしれないと振り返ってみて、思いました。」


好きなものに挑戦しやすくなった


「高知の活動を始めてから、好きなものとか、良いなと思いかけたものに挑戦しやすくなりました。」

元来、自分を頭で考えるタイプと話すかずま。何かを始める際にも、メリットとかを考えて、自分ができないものに挑戦することを、してこなかった部分もあったという。一方で、挑戦をしたかった部分もあった。

「今はカメラもやっているし、後は劇もやりたい。それは今まで恥ずかしくてできなかったことだと思います」

挑戦できるようになった、その変化には、身の回りに、褒めてくれる人、応援してくれる人、いいねと言ってくれる人がいることも大きい。

「例えば、高知のプログラムのグループチャットで、自分の撮った写真を、みんな褒めてくれるんです。そんなに褒められると写真撮ることも、好きになるじゃないですか。」

そう笑って続ける。


「自分の好きを育める場所でもあるし、こんなに『いいね』って言ってくれる人達ってあんまりいないなって思うんです。」

劇をしようと思ったのは、かずま自身が参加者として参加したプログラムの時に、会った高校生の女の子がキッカケだった。

「その女の子は地元の子で、シャイで、でも何か戦っている感じがしたんです」

その女の子はダンスが好きだという。かずまはプログラムの後、高知で観光のために、一泊した際に、誘われて、その子のダンスを見に行った。

「めちゃくちゃ活き活きと踊っていて、その女の子の普段の話を知っているからこそ、そこまで人って表現できるんだって、自分もやってみたいなって。かっこしいし、それに心動いている自分もいたんです。」


「今は、仕事ももちろんあるのですが、高知のプログラムも大事な存在になっています。」

そう語るかずまに、高知のプログラムで、一つチャレンジしたいことがあるようだ。

「2月に学生向けプログラムをするんですけれど、そのプログラムのオーナーにチャレンジしたいと思っています。今は代表が全体のオーナーしているけれど、自分もチャレンジしたいと思い、オーナーにその気持ちを伝えました。」

かずまのチャレンジは続いていく。


好きな場所、好きな空間が、そこにある


”人の想い、感情のこもったものを、もっと世の中に広げること”を続けているかずま。今後、どのようなことをしていきたいと考えているのでしょうか。

「そんなに大きな夢はなくて、大きな夢を持ちたいっていう自分がいる一方、無い寂しさもあるんですけれど」

そう話してくれた後に、一つやりたいことを語ってくれた。

「一つやりたいのは、ベトナムでそういう空間を作りたいと思っています。期間は3・4・5年後・・・いつになるかわからないけれど、今はそういう学校を作りたいと感じています。」

かずまの話す”そういう空間”が、示すのは、まさしく高知での空間。

「それぞれが、心豊かに育てる空間を、すごい好きな国のベトナムで実現したい」

かずまは大学在学中に休学をして、ベトナムで店長をしていた。そんなかずまにとって、ベトナムは、深い思い入れのある大好きな場所でもある。

「自分のかけがえなのないものを受け取れた場所です。友達と話したい、人が好き、そういう生々しい感情を受け取れた場所で、振り返ると幸せを感じます。」

しかし、その感情に含まれているのは、楽しかった思いだけではない。

「ベトナムにいる時、すごく必死でした。カフェの店長をしていて、できないことも多くて、ズタボロの自分がいたんです。」

ベトナムのことを思い返すと、その必死だった自分も思い返すという。
それは、例えば音楽と共に蘇ってきて、その度に元気をくれる。

「嫌なこととか辛いこととかある時、ベトナムで聞いていた曲を聴くと元気になります。例えば、カフェで流れていた大橋トリオの曲とか、聴く度に、嬉しい、楽しい、とかの鮮明な感情が蘇るんです。間違いなく影響を与えてくれている場所、好きな場所、好きな空間が、そこにあるという感覚です。」

ベトナムでインターンをしていた時の様子。お気に入りの写真だそうだ。


それは、ベトナムにいた必死で頑張っていた、自分自身の状態が、すごく好きということに繋がるという。

そして、その思いは、高知で活動している今にも通じる。

「今の自分も、一生懸命生きていたら、後々振り返った時に、良い感情、良い空間になるんだろうなって確信があるから頑張れるのかもしれない。自分を元気にする過去がある、栄養素みたいな過去がある。」

そうして、続けてくれた。

「ある意味そういう空間を人に対して作りたい。これは確信ではないけれど、だから運営として関わっているのかもしれない。」


*お話を聞いて

「人を笑顔にするのが好き」


「割と必死かもしれないです」

イマココの感情をそう答えてくれた。

多分、りよなが、必死なのは今に始まった事ではない。ただ、続いたりよなの言葉からは、いつもとは違う何かを感じる。

「今は学問ファシリテーター育成講座を作っていく立場。参加者に与える影響や、感じ取ってくれるもの、を考えると妥協できない。妥協は元から好きじゃないけれど、絶対にできない」

”絶対に妥協できない”その言葉から、今まで以上の必死さ、そして覚悟が伝わってきた。


ファシリテーションは、全ての人に必要

りよなが今情熱を注いでいるのが、学問ファシリテーター育成講座。通称、学問ファシリ講座。一般社団法人Foraが主催する大学生向けの企画だ。

一般社団法人Foraは、「人生を問う場を届ける」という想いの元、大学生が高校に行き、ワークショップ形式の進路の授業を行なっている団体。

その中で学問ファシリテーター育成講座は、授業の中核を担う大学生の育成を担うと共に、日常生活における、ファシリテーションの可能性を追求している。

学問ファシリ講座で、りよなが主に担っているのが、講座全体のデザイン。

「教育には誰もが関わると思うんです。例えば、アルバイトの先輩になる、上司になる、親になる、とか。意識はなくても教育ということには関わるじゃないですか。そういう人たちにファシリテーション能力が身についていったら、良いなと思うんです。」

ただ、りよながForaに、学問ファシリ講座に関わり出してから、その「答え」に辿り着くまでは、決して簡単ではなかった。


無意識から意識に

りよながForaの学問ファシリ講座に関わったのは、大学に入学したばかりの、4月。

当時、ファシリテーションという言葉は聞いたことがなかったという。ただ、当初Foraの運営自体に興味があり、大学生向けの講座があると聞いたから、まずは参加してみた。

そこで伝えられたことが、”相手を主役にして、参加してくれる生徒が安心してこの場にいてくれるような環境を作ること”

それがまさしく、りよなの抱えていた想いと、ガッチリと見事に重なった。

「それって今の教育業界に意識されていないなって思ったんです。先生たちも、目の前のことに必死すぎて、その生徒たちが安心するような環境を作れずにいたりする。教室や学校という場所に、その子に傷ができた時に癒すさためのものはあるけれど、最初から居やすい環境を作りましょうというのは、意識として少なくて、あったとしても無意識だと思ったんです。」

りよなは、その無意識に注目をする。

「ただ、その無意識を、意識的にできるだけでもすごいことになると思うんです。無意識に備わるスキルでも良いけれど、それだと、結果的にそうなっているだけで、振り返ってもまた上手くはできない。だからそういうのを、意識的にできるといいなと、参加して思ったんです。」

りよなが一講座生として参加した学問ファシリ講座は第2期。そこから、3期では、講座生のサポートの役割であるダイアログパートナー兼運営、4期、5期も運営として関わり続けてきた。

りよなが参加した学問ファシリ講座2期のメンバー


今回の6期では、遂に講座全体のデザイン部分から、自分がやりたいことを形にできるようになったという。

「自分が誰を対象にどんなことを考えたいのかを、やっと実現できる。だから、心持ちというか、覚悟が違うんです。この講座は、Foraの理念を叶えるための一事業であると共に、講座を通して、教育業界という私たちが関わっている業界に、どういう人たちを送っていきたいのかを考えることでもあると思っています。相当な覚悟だなと。そう考えた時、意識が変わりました。」

冒頭の覚悟はここから現れている。


相手が求めているものってなんだろう。

ついに、自分の思いを元に、講座の設計から作っていける。その上で、まずやったことは、自分がやりたいことを徹底的に聞いてもらい、全部出し切ったことだった。

そこで出てきたことは、”私たちがやりたいことの押し付けにはしたくない”という想い。

「相手が感じている疑問や違和感、具体的には、場に対する違和感、思考に対する違和感、相手に対する違和感とかを、解消するためにファシリテーターがいると考えていたんですけれど、それだけだと何か足りないなと。。例えば、疑問や違和感とかでなくて、すでに楽しいと思っている人を、本当に学びたいことに近づけるためのきっかけづくりもファシリテーションだと思ったんです。」

こういう考えに至ったきっかけの一つが、りよなが学問ファシリ講座自体に、違和感を感じていた時期があったからだという。

「違和感を感じて、突き詰めて考える内に、今こうやって感じている疑問を解消するのは、自分目線でしかなくて、講座生が本当に求めているものってなんなんだろう、と思ったんです。」

講座はあくまでも、受けてくれる生徒のもの。自分ではなくて、相手目線で考える、そう考えたこと自体が、ファシリテーションとは何か、を改めて考えるに至った出発点だった。

そうして出てきた想いが、先の言葉だ。


言葉選びもすごく意識している

相手目線を考えた時に、拘ったのが学問ファシリテーターの募集をする際に用いた言葉。

「例えば、”生徒が主役になれる場作りの手法”と打ち出すと、大学生の中には、生徒を対象に考えていない人もいるから、少し異なってきてしまいます。私たちは教育団体ですが、この講座自体は、教育に普段あまり関わらない人も、教育に触れる幅を作れるように、という意図があるのに、生徒という言葉を使っちゃうと学校の教育に限定されてしまいます。だから、本当に伝えたいことを言語化するためのワード選びとか、自分たちが一方通行になっていないかをすごく気をつけていました。」

もちろん、正しいとも完成形ともまだ思っていないという。試行錯誤の連続だ。

「言葉選びは、すごく難しい。それで変に影響されちゃったら、その言葉をインプットされている講座生が世に出ていく。そう考えると、責任重大だなった思うんです。」

試行錯誤はまだまだ続いていく。


手応えは”素晴らしく良い”

そういう想いで始めた6期の学問ファシリテーター講座ですが、実際の受講生からの手応えは、”素晴らしく良い”という。

「ちゃんと考えたから、相手も受け止めてくれたんだと思います。講座生が良い方ばかり、ということもあるけれど、授業実践に行ってくれる子も増えているし、見学に行きたいと言ってくれる子までいる。」

講座生からの質問も積極的だったり、もっとこういうことやりたいんです、と意見も出て、追加で講座を開くことも既に決まっている。

「講座内での盛り上がりはタイトルコールを言った時にも表れています。今までは、例えば、タイトルコールで、〇〇自己紹介(企画名)と言うと、反応は、イェーイ!だけだったのですが、最近は、イェーイ!の後に、フゥーー!が出てきたりします(笑)」

6期の講座では、「伝えたいことはこれです」と、明確に伝えていて、それも功を奏しているのでは、とりよなは考えている。

改善点はありながらも、今までより、何かを受け取ってくれている人が多いなと、そう印象を話してくれた。


ベテランの先生のファシリテーションスキルを次へ

少し遠い未来に実現したいことを話してくれた。

「学校の先生、特に新人の先生まで広げたいと考えています。ファシリテーションが、初めて学校に入った時に学ぶ一つの研修としてあったら良いなって。」

具体的には、ベテランの先生達が新人の先生達に教えられると良い、とりよなは考える。

「ベテランの先生達って、絶対ファシリテーションスキルを持っている。ただ、”無意識”が多くて、おそらくファシリテーションという言葉を知らない、もしくは知っていたとしても、そんなの当たり前じゃん、と言うと思うんです。」

ただ、その当たり前の中身が大事、と続ける。

「そのベテランの先生達が、新人の先生達に、こういうスキルがあるよと教えていけるような流れを作れると良いなって。それを学問ファシリテーター講座として伴走していけると良いと思っています。」

ここでもまた、”無意識”という言葉が飛び出した。


現在、ファシリテーション講座を通じて、Foraと大学生、大学生と高校生の接点を作っている、りよな。

今後、ファシリテーション講座以外にも外との繋がりも積極的に作りたい話す。そんな、りよなのForaでの肩書きは、コミュニケーションデザイナー。

「対学校、対大学生、とかForaに関わる人が応援したいなと思ってくれるイベントとかも作りたい。」

そう言って笑った。


「会いたいです」、と手紙を出す


今、Fora以外に、りよなが考えていること、していることを教えてくれた。


「歌のオーディションを受けています。たまたまFacebookでみて、悩んでいたのですが、やるなら今だよと言われて。21歳のタイミングで始めて、失敗してもう一度やり直せるのは今だ、と」

もう一つ教えてくれた。

「後はカメラです。まだ買えていないんですけれど…」

りよながカメラを始めたい、そう思い立った経緯は、ラブグラフの社長に会いに行ってきたことだという。

「会いたいです、と手紙を書いたら、ツイッターでお返事をもらいました。実際に会い行って、その会社の掲げているものがすごく素敵で、それに惹かれてラブグラファーになりたいと思ったんです。カメラ持っていないのに、ラブグラファーを目指し始めました」


昔から人を喜ばせるのが好き

歌やカメラ、他には演劇など、様々な表現方法を持っているりよな。

それぞれの背景にある想いを辿ると、人を喜ばせるのが好きだった幼少時代に遡る。

「昔から、サプライズが好きでした。母親が夜遅くまでダンススクールを経営しているのですが、母親が誕生日の日も帰りが遅くて、その時に手作りのコース料理を用意して、ケーキとかも用意して待っていました。クラッカーも準備して、電気も真っ暗にして、帰ってきたらサプライズしたり。妹の誕生日の時もよくケーキを作っていたりしていました。昔から人が喜んでいる姿を見るのが本当に好きでした。」

サプライズをよく企画していた幼少時代から時が経ち、高校1年。進路を考える際、その想いが具体化をしていく。

高校一年生の時に、NPO法人NEWVERY理事の倉部史記さんの講演で聞いた、”好きの掛け算”の話がきっかけだという。

「自分が好きだと思えることを掛け算すれば、オリジナルの職業とか、やりたいことが見えてくるよ、と教えてもらって、それをずっと考えていました。」


そうして考えて、当時志した職業が、ウェディングプランナーだった。

「企画するのが好きで、サプライズが好きで、人を笑顔にするのが好き。そう考えた時に、幸せを感じる瞬間って笑顔だなって思ったんです。それを形に残せるもの…幸せって形に見えないけれど、形として表すものってなんだろうと考えた時に、一個は結婚式だなと思い、それを企画するウェディングプランナーを目指そうと思いました。」

以前より関心があった教職と、関心を持ったウェディングプランナー。両方を目指せる大学に通っていたが、大学を辞めることとなり、同時に、ウェディングプランナーの夢を考え直すこととなった。

「人を笑顔にする仕事はしたいな、と考えた時に、一回きりのものでなくて、ずっと残るものが良い。それは写真だと思って、サプライズ要素を含んだ一回きりの写真をとる人になりたい、そう思ったんです。」

ラブグラフは前から知ってはいた、という。

「具体的に良いなと思って、関わりたいと、確信になりました。先述の、21歳、今が始める時だと言ってもらったことも後押しになり、手紙を書きました。」


誰かと誰かを繋げること

歌、カメラ、演劇..様々な取り組み中で、共通の大切にしている想いがある。

「場づくりとして、誰かと誰かをつなげることを、特に意識しています。」

例えば、と自分の今の活動に繋げて話してくれた。

「学問ファシリ講座なら、講座生同士、過去の講座生同士、運営と講座生。歌の場合、私の歌を聞いてくれた人同士が繋がる。カメラなら、依頼者が会いたい人に会うために、私を使ってくれると良いなって。演劇なら、自分が演じた役とお客さんをつなげる。私とお客さんではなく、私が仲介人となり、物語の役とお客さんをつなげる。そういう風に、人をつなげるきっかけとしての場づくりができたら良いなと思っています」

そして、それらは、全部どこかで繋がるんだろう、と話す。

「Foraでカメラ撮ればいいし、テーマソング作ることもできる。元々、ギターも人に歌って欲しくてやっていました。私も歌いながら弾き語りするけれど、実は得意じゃない。私は伴奏者で良いんです。」

一方で、本当にやりたいことをぶらさないために、立ち位置を守り、あちらこちらに、首を突っ込みすぎないことが大事だと最近感じでもいるよう。

自分が目指したい姿がしっかり、あるからこそ、感じられることなのだろう。


ある日突然、手紙で招待状が届く

りよなが考える写真を使ったサプライズってなんだろう、知りたくなって聞いてみたら、考えていることを教えてくれた。

「ある日突然、メールではなく、手紙で招待状が届きます。大きなサプライズでなくて、その場に人がいなくてもいい。手紙が送られてくるってすごいサプライズ、だと思うんです。」

その理由を続けてくれた。

「私、文字がすごい好きなんです。書いたりするのが、すごい好きなこともあって。今メールでなんでも送れるからこそ、形として残るもので、相手のことを想ったものが送れるって良いなって。」

もちろん、その分、手間はかかる。ただし、その手間が良いのだという。

「相手の思いを形にして届けるのって、手間がかかるし、面倒だし、手紙の場合、切手代も、封筒代もかかるし、便箋に何か書かなくちゃいけないし…ただ、もちろん、手間はかかるけれど、その手間自体がすごくサプライズだなって思うんです。カメラに関しては、必ず招待状を送る形にしようかなって思っています。」


準備している時が一番楽しい

色々な活動をしているりよなの中で、何をしている時が一番楽しいんだろう、そんなことが気になって、最後に、ふと聞いてみた。

「準備している時、サプライズを考えている時が一番楽しい。」

少し考えた末にそう答えてくれた。例えば、クラウドファンディングの文章書いているの時の心臓の音がまさしくそれだったという。

内訳は、興奮が6割、不安は1割で、不安は口ではいうけれど、そんなにないと言います。そして、残りは楽しさ。

「アイディアが浮かんできて、繋がっていく感覚が好きで、ずっと興奮しています。自分のサプライズを受け取って、それをきっかけに何かを始めてくれた人がいたら嬉しいし、それは、また自分がやる時の原動力にもなる。」

ただ、自分がやってて楽しいのは、あくまでも準備期間。

「学問ファシリテーション講座とか、プレッシャーが半端ない時、自分が企画側の時は辛いこともあるけれど、人が考えていくことを形にしていくことは楽しいです。」


***

・一般社団法人Fora

・学問ファシリテーター育成講座

・Lovegraph

・劇団ファミリア
りよなが所属している劇団。年に何回か、素敵な公演を開催しています。

「その人が持つ、本当の力や物語を、より多くの人に伝えたい」


イレギュラーな選択。でも後悔はしていない

しょうへいが働いているのは、NPO法人WELgee。就労や住居等の分野で、日本に逃れたばかりの難民と日本人とがつながる機会を作っているNPO法人だ。

その中で、PR担当として、日々奮闘している。

「”難民”も突き詰めれば人。人間だけれど、国に守られない状態、どこにも所属がない状態。”難民問題を解決したい”より、ただ、そういった人たちが持っているタフネスや、逆境を背負った人たちが持つ価値を発揮できる環境を作りたい。日本でもそういう人たちはいる、そう感じていた時に巡り合った団体。点と点が繋がった感覚です。」

難民の人が持っているタフネスを発揮できる場所を。彼がそのように思うに至った背景には、留学地での親友との出会いが背景にあった。


18年間千葉から出たことがない

話は少し昔に遡る。千葉の高校に通っていたしょうへい。少し意外なことに、大学入学まで海外に行ったことがなかったという。

「18年間千葉から出たことがなかったんです。自分の親が公務員なんですけれど、高校の頃、自分も公務員になったりするのかなとか、日本ってあんまり希望ないなとか思っていました。」

そんな、しょうへいに、高校2年生の時、転機が訪れる。同世代の留学生が海外から来て、2週間一緒に過ごす経験をする。

「自分より遥かに色々な経験をしている人たちがたくさんいました。サークルに8個入り、スポーツやボランティアなどの経験を積んでいる人や、自身の救われた経験から、麻酔に関しての専門の医者を志す人など明確な価値観があって、WANTがしっかりしている人とたくさん出会いました。」

そして、その体験は、しょうへいの進路選択にも影響を与えます。

「自分と同じ年代で同じ時間を生きてきた中でこんな面白い人たちがいるんだ!と思ったんです。そして、海外に行きたい、留学に行きたい、それが大学選択の一つの要因となりました」

そうして、早稲田の国際教養学部に進学をする。周りに帰国子女が多い環境。英語で授業が行われ、海外留学が必須の環境。まさしく、しょうへいが望んだ環境。

「始めは苦労しました。聞くことはできたのですが、書くことや、ディスカッションができない…一行書くのに30分程かかっていました。大変なこともあったのですが、大学に入る理由が、色々な人に出会うためで、その想いがあったから、苦ではなかったです。」

そう笑います。


環境教育を学びにスウェーデンに留学

そして、大学2年の時、念願だった留学に赴きます。留学地に選んだのはスウェーデン。その理由は二つあった。

「一つが自分の父親からもらった本です。その本には、スウェーデンが、いかに福祉国家で、その根底には他者への共感があることが書かれていたんです。こんな国が世界にあるのか!と、驚いたのを覚えています。もう一つが大学の先生の影響。環境教育を学びたかったんです。」

福祉と環境教育を学びに行った留学先で、しょうへいが見て、感じたことは、移民や難民、そして国としてのそれらに対する姿勢だった。

「福祉国家、ということは、国民に対しての保護の意識が強いんです。そこには、スウェーデンが元々国民でない人が移民してきている背景があります。」

しょうへいが留学に行った2015年の冬、丁度シリア難民が社会問題になっていた。

移民局が想定した2倍以上の難民が押し寄せ、シェルターと予算が足りない。今までの寛容な政策から、ボーダーコントロールをせざるを得なかったといいます。

「友人が言っていた言葉で印象的なものがあります。一度”WELCOME”という姿勢を示したなら、それ貫き通さなければならない。しかし、スウェーデンには、それができなかったんです。」

まさに、Weの境界が問われている、と話す。

「Weの部分とは、シリアの国の人と出会ったことがあるか、とか、体験として出会いを持っているか、とかだと思います。全く知らない国には、最初ステレオタイプがあると思うのですが、何か体験があると相当違うと思うんです。」

例えば、スウェーデンは、片親が外国人なことが多く、外国人比率が高い。だから外国人に対して寛容な部分もあるという。


シェアハウスでの出会い。「シリアから徒歩で来た」と、彼は言った。

国としての姿勢を感じた他に、”人との出会い”という観点でも、今のしょうへいを形作っている出来事があった。

「留学ではシェアハウスに住む予定でした。金髪美女と過ごせる、イケメンの男子がいるのでは?そんなことを考えながら、住む予定のシェアハウスに向かっていました。」

しかし、そこで出会ったのは、しょうへいにとって、少し予想外の人でした。

「『シリアから徒歩で来た』と彼は言ったんです。」

中東系の彼は、5人兄弟の一番上で、母国でコンピュータサイエンスを学んでおり、大学で3番に入る程の成績。ドイツに大学院の入学、しかも奨学金ももらえる形で、決定をしていた。そして、首都のダマスカスに留学証明書を取りに行った際に、2011年の反体制デモが起きた、と言います。

「彼は、なぜシリアに紛争が起きる土壌があるのか、自分自身が逃げるその日の話、どうトルコに逃げて、生活をしているのかを話してくれたんです。始め、徒歩で来れるわけないと思っていたんですが、徐々に実態を持って感じられてきたんです。」

これは作り話なんかではない、そう感じたと言います。

「彼は、正職員でもないので、スウェーデンで一日何時間も働いても、そこまで多い賃金にはならない。そして、そのお金をトルコの難民キャンプの家族のもとに送っている。他にも、シリアの料理を作ってくれたり、文学のこと、自分が何をしてきたのか、そして、家族のこと、宗教のこと、を語ってくれました」

元来、人からの影響をよく受けるタイプ、そう自分でも認めているしょうへい。スウェーデンのシェアハウスでの出会いは、彼に大きな影響を与えた。

留学先のスウェーデンでのシェアハウス


生きている心地がしない

留学を終えて日本に戻ってきたしょうへい。
彼を待ち受けていたのは、壮大な喪失感でした。

「スウェーデンにいた時が人生の中で一番幸せでした。尊敬できる人に囲まれて、ドキュメンタリーを撮ったり、やりたいことを実現できたり。留学中は、何の責任もなく、やりたいことに集中できていたんです。そのためか、留学から帰ってきた後、目的が達成されてしまった、今までの努力が報われてしまった、自分の人生の幸せの絶頂期が来てしまったと感じていました…」

スウェーデン留学中に撮影したドキュメンタリーの一場面


帰国後は、燃え尽き症候群になっていたと話す。その期間が、結構長かったという。寝込んだり、インターンを始めてもすぐに辞めたり、行き詰まりを見せていた。

「口癖が、生きている心地がしない、でした(笑)」

そこに就職活動も入り、6ヶ月ぐらい燃え尽きた状態が続いていた。

「しまいには遺書みたいなものを書き、これ以上の幸せはない、幸せを求めるのなら自分は全うしたと、書いていました…」

振り返ると、留学では、時間、場所、人の点で全てが新鮮で特殊な環境。
尊敬できるシリアの友人、シェアハウスには、博士課程のユーモラスな人もいた。

場所も自然豊かで、朝起きたら気持ちよく、朝日をあびながら、1日が始まる。時間も制約がなく、ある意味、特殊。そんな、特殊な環境からある種戻ってしまった。

「色々な人に迷惑をかけました。友人や先生が、研究室で朝まで語るとかをやってくれたりしたのですが、まだ、蟠りがあったんです。」

そんな時に、しょうへいは、ある本に出会う。

ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』

「強制収容所で生きる人間が考えられる底の底の地獄を描いた本。そこには、限界まで栄養を絞り、働いた際、次に迎えるのは精神的な死である、とありました。いつ解放されるかわからない、そもそも、未来に幸せがくるかわからない、何よりこの瞬間が辛い。そんな時に、過去の栄光にすがるしかない。そうすると、内側から死んでいく。」

「そんな人に対して、ビクトルは、自分が人生に何を求めるかではなく、人生があなたに何を求めるのかを考えるべき、と説く。一人一人の苦しみは誰も背負えない。だからこそ、苦しみと向き合い続けることが初めてあなたがあなたらしく、その世界に何かを残せる瞬間なのだと。」

その言葉に、しょうへいは、自分と重なる感情を抱く。

「境遇は違うけれど、過去だけを見続けることは、自分にそっくりでした。過去だけを見続け、縋っていた自分に、背中を押されました。」

ずっと留学という”過去”を見ていたしょうへいが、前を向いて歩み始めた瞬間はその時だった。


始まりは、再び、シェアハウス


しょうへいがWELgeeと出会ったのは、2017年の11月頃。

その頃、しょうへいはインターンをクビになったり、プログラミング勉強して、アプリを作ったり、大学を休学して色々活動をしていた。

「北海道から帰ってきた友達が、『東京に難民者向けのシェアハウスを作るんだけれど、一部屋余っていて、しょうへい、そういうの好きそうだし、来ない?』と誘われたんです。面白そう、と30秒でOKと返事をしました。」

それが中目黒にあるWELgeeの運営するシェアハウスだった。

「色々なことにびっくりでした。」

住んでみて思ったことをそう話す。

「一緒に住んでいた人の一人が、アフリカのアンゴラの男の人だったのですが、日本の歴史では語れない歴史を話してくれたり、一方で、働く場所に困ったり、日本の中で最低限の権利しか保証されていないことを聞いたりしました。一年間一緒に住んでいて、時には喧嘩をしたこともあったのですが、人間味溢れる人でした。その他にも、元牧師の方や、MBAに行ってきたエチオピアの方、3歳児と7歳児を抱えたお父さん、13人ぐらいの人と一緒に住んでいました。そういう人達と一緒にいて、一人の人として、学ぶことが多かったんです。」


そういう人たちの話を受けて、自分が何をできるかわからなかった、そうしょうへいは話します。ただ、考えるうちに、自分がWELgeeに関わることを決心したと言います。

「逃げてきた人たちが目の前にいて、こうして日本にいる。日本にいるけれど、日本で暮らすための障壁がある。元々、WELgeeに関わるというより、ただ誘われて住んでいただけでした。ただ、この人たちが社会で活躍できないのはもったいない、本当にもったいないと思ったんです。起業経験があったり、大学院での経験があったり、見えざるそういう人たちが、眠っているのがもったいない。」

もう一つ、WELgeeに関わることを決断した理由を話してくれた。

「WELgeeがNPOとしてすごくいろいろな広がりがあると感じたんです。投資家の人からオフィスを借りたり、戦略コンサルの方からアドバイスをいただいたり、思いのある行政書士の方が顧問を引き受けてくださったり。WELgeeのシェアハウスに住んでいる方も、日本で働けない人もいるのですが、ブロックチェーンとか仮想通貨で何ができないか、とかそういった考えを持っている人もいて、すごい繋がりで何か変わるかもしれない、そう思ったんです。」

やる気もあって、意欲もある人、そのような、モチベーションピラミッドの一番上の人にまずは何かしたい、そう感じた。


新卒でNPOに入る決断をした、しょうへい。始め、親御さんからも反対の声があったといいます。

「始めは反対されました。いつも、しょうへいは自分で何かやりたくなるけれど、一旦大きな組織に入り、いかに社会が回っているか見た方が良いんじゃないと。ただ、WELgeeが開催しているサロンとかに連れて行ったり、代表と話してもらいました。結果、元々、親も貧困問題とかには関心があったこともあり、今では応援してくれています。」



PRを極めたい

今、WELgeeでしょうへいが担っている役割はPR。PRとして、何ができるのか、そしてPRを極めるべく、日々奮闘している。

「未熟者だし、自分は記者ではないし、でもPRをすごく極めたい」

そう語る背景には、母校の早稲田大学で受けた授業の影響がある。

「元々、PRは電車広告みたいなものと思っていたんです。ただ、早稲田の授業でPR特論というのを受けて、様々なステークホルダーの関係性をいかに構築するか、その戦略を考えるのがPRと学びました。」

授業の中で、先生がPRが国を変えた事例を話してくれたという。
ある国でレシートを電子化する法律がPRの力で実現されたり、日米貿易摩擦の時に、日本側の理解を促進するPRがされたりした事例がある。

様々なステークホルダーがWin-Winになる仕掛け関係を作るために、メッセージングとして、どういう素材が必要か、どういうチャネルを使うかを考えるのがPRだと学んだという。

「本当にすごく難しいです。ただ、その力を自分で高めたいと思うんです。」

上司が居らず、自分で勉強しなければならない環境だと話してくれた


行政に対して、WELgeeの施策を一緒に作ったり、真似してもらったり、一緒にパートナーシップを結んでやりたい、そういう構想を話してくれた。

「将来的には、専門性をつけて、国とか社会を動かせるようなPRパーソンになって、社会を変える力をつけたい。」

PRパーソンとして尊敬する人を尋ねると、少し意外にも、「ヴィクトール・フランクル」そう答えてくれた、しょうへい。

「希望を持てずにいる人に対して言葉をかけて、勇気付ける。それって真の意味でのエンパワーメントだと思うんです。単純に綺麗な言葉を並べるのではなく自分がともに苦しみ出した、パッションとか、共にトークして生み出した言葉、それが、人生を変えたりする。」

そして、最後に、意気込みを語ってくれた。

「難民の方の、本当の力や物語を、より多くの人に伝えたい。一度夢を諦めたりした人がいる時に、出会いとか、新しい価値とか生まれたりして、より多くの繋がりが生まれる瞬間を作りたい。」

*NPO法人 WELgee

*しょうへいがスウェーデン留学中に撮影したドキュメンタリー

紹介記事はこちら

『夜と霧』ヴィクトール・フランクル著

『PR NOW PRで、社会を変える奮闘記。』

しょうへいが、PRの理論やトピックスについて書いているブログ。
一読者として、純粋に学びになって面白いです。

「0→1ではない。まずは、0.1、0.2を積み上げること」


「めちゃくちゃ楽しい」

イマココの思いを、そう答えた誠。そこに躊躇いは一切、なかった。

「本業とプライベートでやっていることのシナジーが上手くいっている。仕事での培ったものや、持てる資産をプライベートにも活かせている。」

それは、彼が目指す世界、そして生き方に、確かに近づいている証である。


最高のシナジーをうめている

誠は今、コワーキングスペースを運営する会社WeWorkで働いている。

誠が働いているWeWorkに入居している企業は、それぞれ”想い”を持っている。提携先を探している企業、本社とは離れ、新しい風を受けたい企業・・そういうそれぞれのニーズを汲み取り、イベントなどを開催して、シナジーを生んでいくのが誠の仕事だ。

ただ、誠が語るシナジーは、仕事だけには収まらない。

仕事での取り組み、プライベートでの取り組み、それぞれが合わさって、シナジーを生んでいるという。

「今までプライベートで開いていたイベントを、 WeWorkで開催したり、逆に仕事で出会った人を、プライベートの活動に呼んだり、良いシナジーができている。」



100%素直に向き合えていたか

そんな誠だが、実は今年に入って転職をしている。転職前は人材サービス会社で、いわゆる人材紹介の営業をしていた。

「前職では、人のやりたいことを応援したかったのがあります。やりたいことをやってほしいし、それはどの年齢のフェーズでもあると思うんです。それを、人と出会うことでメンターになってくれたり、応援してくれたり、知識くれたりとか、そういう人との出会いで一歩前に進める社会になればいいなと考えていました。」

それが、転職という側面でできてはいた。しかし、一方で、モヤモヤした感情もそこにはあった。

”仕事だから”と求人自体の見せ方をよくしたり、求職者もこの人紹介すれば売上が上がるという接点で見ることもあったり、お金をもらっている以上、会社に属している以上、成果も出さなくてはいけない。時には、自分の本意ではないこともやらなくていけない場面もあったという。

「元来、本音じゃない自分で人と向き合うことに心が辛くなる性格なんです。だから、100%素直にできていたかといえば、そうでもないんです。相手の企業を変えるというより、自分がなんとかしなきゃ的な思いでした。本当は相手自身を変えることできればよかったんですけれど、難しいものを難しいと素直に突きつけることができなかった。向こうの期待値に応えられなかった。」

一方で、今は、やりたいことが近い個々同士を、まずは仕事上で繋げることができて、作れる出会いの幅が広がったという。


マンションの住人同士のような柔らかい人間関係。

人材紹介の仕事を、100%素直にできていたかといえばそうでもない、そう答えた誠だが、今の環境との違いの理由はどこにあるのか。

それは決してマインドだけではなく、構造的な理由もあった。

人材紹介では、一般的に、採用決定が出たらお金が出る。クライアントの期待値は、採用に足る人物を紹介してもらうこと。

「営業として企業のクライアントと向き合う。求職者にも売り上げを立てるために向き合う。向こうの人事としたら、言ってしまえば、金払っているからやって当たり前でしょ的な関係性でもあった。」

この人はこの会社で良いのか、自分が本質的にそう思えていない。しかし、お金を貰う以上紹介をしなくてはいけない。しかし、本気がでない、結果がでない、詰められる、という負のスパイラルがあったと言います。

「今は会社としての提供価値のベースは、おしゃれで快適なオフィス空間。その上で、自分達が担当しているイベントは、お客さんの企業から見たら、あくまでアドオンの価値なんです。」

誠が主に担当しているイベント企画は、会社としては絶対やるけれど、企業にとってはプラスアルファに感じる部分もある。人間関係として、契約を結んで事業に貢献、というわけではない。だから、関係性がとても柔らかい、という。

「前職のように、役職を持った人事と営業より、同じマンションの住人という関係が近いです(笑)。その人の本来のやり方とか役職を取っ払い、人としての想いと向き合い関わり合うことができている感覚があります。」

一人の人同士して関わることができている、感謝されることも多い。だから楽しい。そう笑います。


応援したいと思った時に応援できる

話は、プライベート部分に移っていった。

「プライベートの活動はずっと楽しかった」
そう話す誠。

「去年の夏からicoiを始めて、色々な人をこの場所に呼べるようになったり、応援したいと思った人が小さくチャレンジできる環境を用意できた。」

誠が住んでいるシェアハウスicoiでは、定期的にイベントが開催される。

日本料理や豆腐屋の友人との企画、キャリアまで、様々


「俺自身がリスクテイクが苦手で、集客しなきゃとかあまり好きではないんです。だから、icoiを作って、その場所で、イベントを開催できるようになったことで、応援したいと思った時に、応援するというベース部分ができた」

応援したければ、icoiの場所を使ってできる。ここがあるおかげて、何かを始めたい人が、小さく試すことができる。誠自身もそれを応援できる。さらに、出会いの幅も広がったと話します。

プライベートで、icoiで、応援したい人を応援できるように環境を整えた。そして、仕事でも、柔らかい関係性の中で、個々と関わることができるようになった。

それらのピースが揃い、上手く組み合わさるようになったことが、冒頭の、シナジーに繋がるのだろう。



0→1より、0から、0.1や0.2を作るのを応援したい

仕事でも、プライベートでも、一貫して、人との出会いの機会、それらを通して、応援できる仕組みを作ることに取り組み続けている誠。

そんな誠の根源にある想いは、よく聞く、0→1を支援する、とは少し違う。

「0→1を作りたいとよく聞くけれど、まずは、0から0.1や0.2を作りに行くのを支援したいと思っています。1いけば自分で走れるでしょ、と思うんです。その上で、0から1に行くその間で、多くの難しさがある。だから、まずは、0から0.1、2にすること、積み上げて行くことを支援したい」

それを、補助輪的な機能と形容する。

「自転車って、最初こぐのめちゃくちゃ力いるじゃないですか。倒れるの怖いし。でも、補助輪をつけることで、コレいけるじゃんと感覚がつかめる。それと同じように、教えてくれる人が必要だったり、ハード面で場所が必要だったりする。まず、そういう人のために、0.1を作りに行きたい」

真面目な顔でそう笑う。


学校と家の往復だった高校時代から、シドニーでの成功体験へ。

とにかく周りを巻き込んでアクティブに動く、そんなイメージの誠。

昔から、活動的だったと思いきや、高校の頃は、何もせず、学校と家の往復だった、と言います。

「大学ではそれを変えなきゃなと思って、一年に一回は大きなチャレンジをしていました。」

インターンしたり、商店街のゆるキャラを作るプロジェクトをしたり、ビジコンに出たり、色々したけれど、結局やりたいことが見つからなかったと言います。そのまま迎えた就活。

「何をしよう・・・」漠然と考えていた際、グリーンバードというゴミ拾いの活動で出会った人がアドバイスをくれた。

その方は、消防士で、ビジネスを自分でやってもいる人で、誠が尊敬して、憧れていた人でもあった。その人に言われて、誠はシドニーで留学に行く。その留学先で、現地でローカルな人と会うのが難しいということに気がつく。

日本人がホストでそういうコミュニティはなかなか無かったという。
それならば、と、誠はコミュニティを作ることに。チラシ作って、学校に配り、結果60人ぐらい集まったという。その後も、週一でずっと運営をしていた。

活動を続けていく中で、コミュニティ自体も、そして誠自身にも気持ちの変化が起きて来ます。

「コミュニティの中で、友達ができたり、バイトが見つかったり恋人関係になったり・・良い出会いやきっかけが沢山の生まれたんです。それらが、純粋に、嬉しくて、それが、成功体験となりました。」

当時のコミュニティの写真


「たまたま」をどれだけ必然に近づけられるか

成功体験を積んで日本に帰った誠。この良い感情をどう提供したいか、を考えたと言います。

「日本に帰って来て、なんで自分は、良い経験をできたのかを考えたんです。自分は、たまたま消防士の人に会い、たまたま話を聞き、たまたま行った、結果、挑戦して成功体験を得られた。ただ、その”たまたま”は、所詮”たまたま”でしかないなと思ったんです。その”たまたま”の可能性をどのくらい下げられるのか、必然に変えられるのか。自分が会ったゴミ拾いのリーダーみたいな人に、みんなが会えるようになってほしい。そういう価値を自分で提供したい。まずは、自分自身が、そんな、きっかけを与えられるような人になりたい。」

それはまさしく、きっと、、誠の人生が、そっと、しかし、確かに、動き出した瞬間だ。


自分のエゴで突っ走った分、ついてきてくれた人への感謝に気がつく

icoi、朝活、英語、キャリア系のイベントー様々に活動を企画を行う誠が、大切にしている信念とは、何なのか。

“エゴ”というワードで語ってくれた。

「自己中とかエゴは、一般的によくないものとされているけれど、時には大事だと思うんです。そして、自分のエゴで突っ走った分だけ、ついてきてくれた人への感謝が湧いてくる。」

想いを発信して一緒に走ってくれる。自分に、いいことをしてくれる、その人たちに何か返したい、応えたいと思った、という。自分がエゴを出す分、身の回りの人の感謝に気づく。それは誠自身が一番感じたことでもある。

「一方で、エゴだけを前面に出せば良いという訳でもないことに気がつきました。だから、最近は、明確に顔が想像できて、これをこうしたいという思いが、しっかり浮かぶものしか、やらないようにしています」

こういう思いに至ったのには、ある経緯がある。


誠が人材系の会社に勤める社会人が集まるコミュニティのイベントに参加した時のこと。

それが楽しくて、誠は2回目以降、主催するようになります。気がつけば8回目、何もしなくても80人ぐらい集まるようになった。数としては規模が大きくなってきている。そんな中、最初から来てくれたいた人が、「楽しくない」といったと言います。

「そういうの作りたい訳ではないと気がついたんです。規模を求めたり、自分の承認欲求のために何かをやることは、何か違うなと。全員の価値提供は無理。それならば、この人にとってはこれいいよね、というのを考えたい。それも、抽象度の高い”誰か”ではなく、具体的な”誰か”である必要があると思うんです。」



まずは企画した自分が楽しいかどうか

その上で、具体的な誰かの顔を思い浮かべながら、企画を思いついたら、すぐに動く。起点としては、まずは企画者の自分自身が一ユーザーとして、楽しいかどうか。

「企画はその時は俺らのニーズ。最初の駆け出しは中心が熱量を持ってできることを大切にしている」

例えば、朝活。これは、誠自身が感じていたニーズだという。

「当時、色々なことを色々な人と進めていて、夜の予定が埋まっていたんです。それならば、朝の方がコスパ良いし、時間決まっているしダラダラしなくて良いんじゃないか、それが始まりでした。そして、朝にMTGをしていた際に、これ、色々な他の人呼んでやってもいいかもしれないと話になったんです。」

最悪、誰も集まらなかったら、MTGすれば良い、という思いで、オープンなイベントとして開催したところ、最初、6人集まった。

「色々な個性持った人と会えたのが楽しくて、次もやろうとなったんです。」

その次は8人集まり、その次は12人。そのタイミングでカフェには入らなくなり、このスタイルでは厳しいと気がつく。場所欲しいけれど金はかけたくない、ふらっときて欲しい・・・考えた末出て来たのが、企業のオフィス。

「アクセス良くて、おしゃれな場所ないかなと考えた際に、企業のオフィス、良いなとなったんです。朝は使っていないし、人呼べたらブランディング的にも良のではないか。」

Facebookで投稿したところ、WANTEDLYの先輩から返事があり、開催にいたる。その会も、44人ぐらい集まり、その時に色々な繋がりが生まれた。

「企画を、めっや練り込むより、まずは、自分達が、やりたいからやる。作って形になった段階で、どうしたらきてくれる人のためになるかを考える。自分たちがまずはユーザー視点で、俺らがまずは面白いかを優先しています。」

先日開催された、朝活の様子


学校を作りたい

誠には、直近で、ある「野望」がある。

「学校を作りたいんです。」

その経緯を語ってくれた。

「朝活、英語、icoi・・・それぞれの活動で、シナジーを持てるようにしたい。英語とか、日本食とか、朝活とか、今それぞれ具体的な企画になっているものを統合するためには、抽象度の高い概念、コンセプトを用いて、まとめる必要がある。それが何になるのかを考えた結果、学校なんじゃないか、と思ったんです。」

Facebookで、誠自身が投稿した、学校の構想。

ただ、それはただの思いつきなんかではない。そこには、いくつかの込められた意味がある。

「年齢が幾つになっても、新しいことを始めるハードルを下げたい。それは、学校に入って、新しいことを一緒に学んでいくそんなイメージです」

また、学校の”授業”という観点でも意味がある。

「例えば、一授業が日本酒、英語、キャリアでも違和感はないと思うんです。自分の興味関心とか、向かっていくことに合わせて、授業やコミュニティを取捨選択できる。それらを、学校だと、良い意味で入り口は受け身で入れられる。何より、みんなが想起しやすいじゃないか」

そして、話はより大きな文脈にも繋がってくる。

「大きなことだと、社会人の教育はめちゃめちゃ重要になってきている。不安定とか、VUCAとか色々言われている時代に、自分の興味関心に合わせて学ぶのは大切だと思うんです。ただ、いきなり語学学校などはハードル高いと思うんです。だから、まずは0.1を積み上げて欲しい」

ここでも、0.1を積み上げる、誠の信念が現れる。

そして、最後に語ってくれたのが、生徒だけではなく、先生側の視点だ。

「先生になってもらう予定の人も、プロセスの人が多い。先生という概念を提供して、その人たちがやっていくことを広める機会にもしたい。」

様々なプロセスの人が、それぞれの活動を元にイベントを立て集まってくる。そんなイベントを多く開催していた誠らしさが溢れている。

今まで誠がしてきた活動や、根底の想い、そして仲間達が、学校という一つのコンセプトに合わさっていく。

出来上がった学校は、多分誰もが見たことない、だけれど、誰もが行きたい、楽しそうと思えるものになっているはずだ。

(最後に、誠の活動などを紹介)


✳︎誠のオススメの本

本を読んで、すぐに、仕事やプライベートでアウトプットするそうだ。

その他にもicoiには本が沢山

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「登る山が決まっているなら、登り方は自由であって良い」

東京の桜も満開も終え、卒業・入学入社シーズンが落ち着き始めた、4月初旬の週末。多くの新社会人が、1週間の勤務を終えて、ホッと疲れた体を休めているであろう時。

渋谷の街に現れた「新社会人」の彼は元気だった。

「暇ゆえにめっちゃ勉強しています」

もちろん、暇というのは物理的なもの。多分今までの人生で、本当に暇だった時など無かったのではないか。そう思う程、遊びも仕事も勉強も、よく動く。

イノベーター支援、Foraやエンカレッジなどのキャリア教育団体、そして政治哲学。様々に考え、動いてきた彼が辿り着いた場所と、これから歩むことを決めた道とはー。


いわゆる19卒。今年大学を卒業して社会人になった尚太。ほとんどの新社会人が4月から仕事が始まる中、尚太が就職する企業では、6月から勤務が始まるという。

イマココの想いを、「スコラ」と言い、「暇ゆえにめっちゃ勉強している」と話した尚太。話は少し意外なことに、彼が没頭しているという、政治哲学のことから始まった-

始まりは「面白いね」から

きっかけは半年程前。尚太が所属している一般社団法人Foraで、TAとして関わっている南多摩高校のプロジェクトにて。

「南多摩高校で、高校生の論文指導をしていて、大学生自身も勉強会をしているのですが、そのメンバーに政治哲学を勉強している子がいたんです。その子と話していて、『面白いね』から入りました」

哲学や古典は、元々好きだったと話す。ただ、本腰を入れて勉強をしだしたのはこのタイミングから。

「昔の人の考えを知っていると、こういうロジックで、この人はこういう風に考えるんだと分かるのが楽しい。知の巨人の肩に乗っている感覚がある」

普遍的なテーマを扱っていることと、ロジカルに論を積み重ねている感が自分の性に合うと話します。

勉強会の様子

特に面白いと感じたことを語ってくれた。それが、プラトンの『国家』とハンナ・アレントだと言う。

「プラトンの国家は、『正義とは何か』をテーマとしているんですけれど、当時のポリスは正義に準じて行動するのが正とされてきたんです。だからこそ、正義とは何かを考える必要があって、ただ、タイトルは国家なんです。これは個人個人の正義を考えるのは難しい、だからこそ、大きい国レベルで見た方が正義を考えやすいのではないか。その上で、どういう国を作ればいいんだろうと対話形式で進んでいきます」

もう一人、ハンナ・アレントはナチス時代の政治思想家。アレントを話す上で出てくるのが、プラトンのイデア論。

「この世界は完璧な正三角形なことはありえなくて、でも一方で完璧そうに見えるのは、イデア世界にある完璧な正三角形を投影しているからとプラトンは考えているんです。」

いわゆる洞窟の比喩である。

洞窟の比喩 イメージ

*囚人が洞窟の壁の方しか見れない程度に身動きが取れないでいる。囚人の後ろには焚き火があり、焚き火の影絵に映される事象を囚人は見ている。これは真実(イデア)を見ているわけではなく、その似姿を見ているに過ぎない。このイデアを直視しようとするのが哲学者で、彼らの役割は囚人を洞窟から出すことである。
(引用:https://www.kyamaneko.com/entry/platon-theory-of-ideas)

プラトンの話を受けた上で、アレントは次のように考えると言う。

「一方で、”この完全な真理がある”イデア論をアレントは危険視しているんです。というのも、この考えが、いわゆる、ヒトラーというものを生んだのではないか、と。全体主義という無思考の官僚制みたいな、『言われたからやりました』という凡庸な悪が生まれた背景には、完全なものがあるというのに囚われた結果。だから、対話ってすごく大事と主張しているんです。」

そして、こう続けます。

「ある人の考えが繋がっていったり、引用する人もいれば、これは危険な思想だと言う人もいる、それが面白い」

一般的に、哲学や古典を読むと「勉強」という感じがしますが、尚太にとっては、完全に趣味という感覚。僕らがゲームをしたり、漫画を読む感覚に近いのかもしれない。

「読まずにはいられない。楽しみで仕方がない」

そう笑います。

一方で、そういった哲学を通じて、人に示唆を与えることはできるとも話す。尚太がそれを感じるのは所属していたキャリア教育団体のエンカレッジで、学生面談をする時。

「後輩と面談する時に、あなたが、こういう感情を抱くのは普通で、昔の人も同じことを言っているから多分真理なんだろう、とか伝えたりできます。どの立場をとりたいかはその人次第だけれど、その材料を与えることはできる」

勉強会の本やレジュメ
自分が勝てるポジションを探す

尚太はいわゆる19卒。話はやはり、気になる進路のことに移っていった。様々に活動的に動いていた尚太は、どのような経緯で、どの道を歩むことに決めたのか。

「自分のビジョンに近いことをやっていくか人に頼りにされる、必要とされることをやっていくか、で悩んでいました。」

様々な企業見て、話を聞き、悩んだ末、後者を選び、より多くの人に頼りにされる人材になることを選んだという。具体的には、ITコンサルタントである。

より多くの人に必要されること、頼りにされるために、まず求められているスキルを得ること。それが今でいうとIT。ただ、エンジニアになりたいわけではない、という。

「小さい頃って機会の差が大きいと思うんです。それは、まさに今プログラミングに変わっている。素養がないと、ITに詳しい彼らの話にはいれない、何を話しているのか分からない、みたいなのがあると思います。」

帰国子女ゆえに英語を話せる尚太。その尚太から見て、ITは、いわば、同じ「外国語」みたいなもの。知らないと話自体に入れない。壁を感じてしまう。帰国子女という生い立ちの尚太だからこそわかる、特に強く感じる感覚に違いない。

ここまで聞いてふと疑問が浮かぶ。一方で、なぜ自分のビジョンに近い環境に直接飛び込まなかったのでしょうか。

「僕、三男の末っ子なんですけれど兄貴二人と戦って過ごしていたんです。焼肉も取り合ったりしていて、、一度も勝てた経験がなかったんです。だからこそ、じゃあどうやったら勝てるのか、自分の勝てるポジションを考える癖がついていました。そうした時に教育一本でこのフィールドで必要とされるのか。この社会には、もっとすごい人がいる。どうやら、この業界一本でで戦っていくのがしんどいぞと」

Foraやエンカレッジなど、キャリア教育に深く関わっていたからこそ、多くの人と話して活動をしてきたからこそ、感じたこと。


だからこそ、勝てる筋を探す。このまま、しんどいままでは終わらない。

「登りたい山が見つかっているのなら登り方は自由でいいと思うんです。僕ら後60年も働くわけだし、ファーストキャリアをそこにする必要性はなくて、沢山沢山、色んな所で右往左往していって、というのもいいと思うんです。」

全ての人が物語の主人公になれること。それが尚太の目指すビジョン。

そこに向けて、様々な方法で山を登り始めたところだ。

リクルートスーツの就活生に「面談しませんか」と直接声を掛けていた

もう一つ、尚太が進路を決める上で考えていたことがあるという。
それが、ビジョンを掲げた時に、実際に泥臭く動けるか。

「理念を掲げた時に、その抽象的なことはやりたい人って多い気がしていて、ただ、具体に落とした時に泥臭く、やりたがらないことってあると思うんです。」

例えば、尚太が活動していた、エンカレッジでは、KPIがある。エンカレッジは全国の大学に支部があるが、尚太の所属する上智大学では立ち上げたばかり。知名度が高いとは言えなかった。

そんな中で時には、リクルートスーツを着ている就活生に「面談しませんか」と直接声を掛けに行くこともある。


直接声を掛けに行くのが早い、と話す。
自分自身、最初は気乗りではなかったが、文句を言うなら結果を出してから。まずは達成すること、そのために泥臭く動くこと、それを意識しているという。

そして、これらは、これから臨む仕事でも言えること。逆に、自分の成長へのチャンスに繋がる。

「彼だったら何かやってくれる、そう思ってもらえて、実力以上期待してもらえることで、打席に立てる数が増える。結果人より早く多く失敗も含めた経験ができる」

みんながやりたがらないことをやるのはチャンス、それ自体が参入障壁になる、と話す。

ありたい姿に向かって走り続ける 

Fora、エンカレッジ、様々なことに取り組んできた尚太が今新たに始めているのが、「GRIT」という活動だ。

尚太が参加したリクルートのインターンから派生した組織で、アンジェラ・ダックワークス著の『GRIT やりきる力』をモチーフにしているという。

「その名の通り、DOとBEの振り返りをめっちゃ行います。社会人になってからこそ必要だと考えていて、今まで実績作りやフィジビリも兼ねて複数回イベントを開催をして下地を積んだので、これから本格始動になります」

”ありたい姿に向かって走り続ける”というのがテーマ。

「その中で、気持ちよくなる内省ではなく、”ありのままの自分”でもなく、掲げている自分になれること。それを、一人だと怠けてしまいがちなので、頑張っている他社の友達と一緒に行う、そんなことを画策しています」

*話を聞いて

しおりんを始めた時に、「この人に話を聞きに行こう!」と真っ先に思い浮かんだ1人が尚太でした。

尚太と初めて会ったのは、尚太が大学2年になる直前、僕は大学4年になる直前だった頃、とある企業の会議室。

”高校生に人生を考える場を届ける”というコンセプトでプロジェクトが動き出そうとしていた、まさにその会議の場でした。

これが、後のForaです。

それから、一年間一緒に仕事して、僕が卒業した後も彼は組織を引っ張り、またエンカレの上智支部の立ち上げなどもしたり、色々経験を重ねていました。

その過程で何を考えてきて、今何を考えていて、これから何をしようとしているのか、純粋にこのタイミングで知りたかったのです。



インタビューを終えた後、尚太からメッセージをもらいました。
改めて話してみて、自分の根底にあるのは、「人との繋がり」からくる喜びなんじゃないか、そう感じてくれたと言います。

Foraのアカデミックの内容も、バスケのサークルも、英語も、これからの仕事でもあるITも、人を分かりたい、繋がりたい、そんな根底がある。だから努力する。それを聞いて、今まで接してきた、尚太という人物と、今回聞いた話とがスッと腑に落ちました。

「社会人になって辛そうだったら話聞いてください」と笑うが、多分その迫り来る障壁すら、ある種楽しみながら、自分なりの方法で山を登っていくんだろう。

一般社団法人Fora

「教育を人生に統合する」をミッションに、学び手の「主体性」を引き出す場づくりを行なっている一般社団法人。高校生に進路を考える機会を作る「キャリアゼミ」や、学校・自治体・企業との探求授業の共同プロジェクトなどを実施。

エンカレッジ

全国47都道府県、72大学を拠点にで活動するキャリア支援NPO法人。2015年卒向けに京都大学からサービスを開始し、現在では全国約3万人の学生が利用(2020卒)。「本質的な就活を通じて、キャリアを作る人」を応援するため、学生が運営の中心メンバーとなり、1対1で行うキャリア面談やイベントをはじめとするキャリア支援を各大学支部で開催。
(https://en-courage.net/about)

「今なら『先生』が選択肢の一つに」

僕たちの周りには、「教育」に想いを持っている人が結構いる。


先生を目指して教員免許を取得した人も多い。
将来、教育に携わりたいという人も多い。


ただ、意外と、大学卒業後、そのまま教育の道に進む人は多くない。人材系にいったり、コンサルに行ったり、もちろん、それぞれ想いや理由があってのことなのですが。

「いつかは教育に戻りたい」

多くの人も、そして僕自身も思っているけれど、それは一体いつなのだろう。そんなことをぼんやり考えていたら、ずっと教育の道を進んでいる人の話を聞きたくなりました。

そして、真っ先に思い浮かんだのが、池ちゃん。
真っ直ぐに、”教育”そして、”先生”のことを見据え続けている池ちゃん。

その池ちゃんの思う、イマココとはー。

4月の初め。
新元号が発表されたこの日。待ち合わせに選んだ秋葉原の街は、あいにくの雨。桜も咲き始め、春は来ているはずなのに、どこか肌寒い日が続く東京。その中で、秋葉原の街は、「新入社員」で溢れていました。

「今日は仕事休みなんです」

颯爽と待ち合わせ場所の和食屋に現れた池ちゃんは、一年ぶりに会っても、変わらなく、暖かさと優しさを身に纏っていました。

今は北千住付近に住んでいて、仕事場もその近くだと言います。

実はしっかり話すのは数回目。二人で会うのは初めて。

休みの日に、遅い時間にも関わらず、わざわざ時間を作って頂けたことに感謝をしつつ、内心少し緊張しながらも、話は池ちゃんの今の仕事のことに向かっていきました。

池ちゃんの仕事場は、認定NPO法人カタリバが運営している、アダチベース。子どもたちの「安全基地」と銘打たれているその場所で、池ちゃんは職員として、授業や、施設運営に携わられています。

いわゆる、”子どもの居場所”など、この領域に詳しい方なら、様々なイメージを思い浮かべると思います。

勉強がメインの放課後学習教室や、食事の提供を行う、子ども食堂、居場所として遊んだり話せる機会を作っている場など。

アダチベースでは、それら全てが合わさっており、子どもたちが、安心できる、そして自立できる力を育む空間を作っています。

「昔から先生になりたかった」そう語る池ちゃん。NPOの職員として勤務されている経緯には、ある想いがあります。

昔から先生に恵まれていた

池ちゃんが先生を目指したのは、中学生の頃から。「昔から先生に恵まれていた」そう話す池ちゃん。学校へ行くのが楽しかったと言います。

「1〜3年は優しいおじいちゃんみたいな人で、4〜6年生の時の担任の先生も一緒に遊んでくれるような人。そして中学になっても良い先生に恵まれ続けていました。」

元々、子どもが好きで教えるのが好き。自然と”先生”という選択肢が生まれます。そして、大学も教員免許の取得できるところに進みます。

しかし、大学に入り、そんな池ちゃんの考えに、”揺らぎ”が生まれます。

大学は高校までとは異なり、言ってしまえば自由。授業に行かなくても、テスト勉強をしなくても、誰からも、何も言われない環境です。

「テスト前で勉強するべきにも関わらず、談話スペースでカードゲームをしている人がいて、何でだ?みたいなことを思っていました」

自由で、様々な人がいる大学という場所。そこで、今まであった「枠」が広がった感覚。その中で、理解しきれないことも多かったと言います。池ちゃんも、次第に一限も遅刻が多くなったりし、自分自身で「堕落」していた、と話します。

「大学の時に、通学時中学の友達と会って、もっと真面目な人だと思ったと言われたりもしました(笑)」

授業、アルバイト、部活、と大学生活を送る中で、気が付いたら、大学3年生。進路を考える時期。

「先生になりたい」その想いは持ち続けていたものの、「このまま教壇に立つのは不安」そう感じるようになります。

「高校まで大人たちが決めたレールの上で走らされていると思うんです。教室という箱の中に子どもたちが押し込まれて、同質な感じで管理されている感覚がする・・・自分がそれをするのが嫌と感じてしまいました。」

大学に入り、「枠」が広がったことで、改めて、高校までの場所、そこで自分がする役割に不安を感じたと言います。

考えた末、池ちゃんは、2回目の4年生を送ることに決めました。そして、より教育の現場を見ることを決めます。

カタリバ、Leraning for All、学習支援や居場所支援という、実際の場所を経験する中で、「自分がしたい教育ってなんなんだろう」と考えたと言います。

そして、2回目の大学4年生が終わった後、より専門的に学ぶために、大学院に進みます。

しかし、そこでまた、教育について思い詰める事となるのです。

大学院で抱いた「机上の空論感」

配属は教育系の研究室。大学院の1年目は先行研究を読むことが中心。論文を読んだり、まとめたり、話したりする日々が続きます。

「自分がやっていることを試す場がない」

そこには、池ちゃんの求めている、実践につながる感覚がなく、机上の空論感を感じていたと言います。

悶々とした想いを抱えたまま、研究にも身が入らない。控えていた研究発表も見送り、次第に足が遠のくようになります。

「しばらく休ませてください」

そして、池ちゃんは教授に休ませて欲しい旨を申し出ます。大学院1年目、12月のことでした。

聞かれて初めて気づいた新たな道

研究室を休むことに決めた頃、カタリバの実践型インターン※の話を聞きます。

それが、冒頭のアダチベースです。

その時の池ちゃんのテーマである「居場所と学び」とも一致したと言います。実際に面接を受け、合格をしインターン生としてアダチベースに関わるようになります。

そして、インターンとして関わった後、大学院を辞め、そのまま職員として関わることに決めたのです。

ずっと先生を目指していた池ちゃんにとって、NPOの職員になることは、聞かれて初めて考えた選択でした。

「実はインターンをしながらも、先生を目指して、教採の勉強を続けていたのですが、なぜか身が入らなかったのです。」

自分がやりたい教育像についても引き続き悩んでいたと言います。

教育はやりたい、しかし何をしたいのか分かない。周囲に相談しても「答え」は出て来なかった。その時に、カタリバの職員から「カタリバがあるよ」と話をいただいたと言います。

「ずっと教員、もしくは塾の先生を考えていた。教育NPOの職員という選択肢は、聞かれて初めて考えた選択肢でした。」

聞かれて初めて考えた選択肢。でも結果的に、池ちゃんはその道に進むことに決めたのです。

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意図を持つこと

職員として子どもに接する際、池ちゃんが意識していることがあります。

それは、意図を持つこと。

話は、池ちゃんの教育実習の頃に遡ります。クラスで大縄跳びの練習をしていた時。

大縄をした事がある方はイメージがつくと思いますが、はじめは中々上手くいかないものです。引っかかったり、間が空いたりなど、子どもたちも次第に諦めモードや、焦り、どうすればいいんだろう、という空気が漂います。

そんな時につい、すぐに行って助けたくなった、という池ちゃん。

しかし、担当の先生に、「助けたくなる気持ちは分かるけれど、行かないでください」と言われたそうです。

あえて失敗させて再構築させる事が大事だという。それも、全ての場面においてそう対応するわけではなく、大切なのは意図を持つこと。

意図を持って、失敗の経験を作ったり、叱ったりする。これは、学習支援もまさにそうだと池ちゃんは話します。

アダチベースでは、ICT ツールを使って子どもたちが「自律して学べるようになること」を目指しています。その中でスタッフの役割は、学習に対する考え方や学習方法をサポートすることです。

勉強している姿を後ろから見て、分からなくて、手が止まって突っぷす時に、いつどのように声をかけるのか。正解した時にすかさず褒めてみたり。画面にバツが出て、間違えた時に、失敗した時に、直ぐに駆けつけるのではなく、「何でだろうと」考える時間を待ったりなど。

まさしく、大縄跳びの時のように、どのように振る舞うのか、自分の一つ一つの行動に意図を持つことが大事だと話します。

今なら先生が選択肢の一つに

インターンから、職員になった始めの頃は、教室運営や事務作業など、いわゆる子どもと接する時間が減ることにある種の歯痒さを感じていたと言います。

ただ、自分がしている事務作業なども、子どもたちに繋がっている。喜んでいる姿を感じることができる、と思った時から心境が少し変わったと話します。

「仕組みを作ることを通して、目の前の子どもたちが変わっていくことが楽しい」

教壇に立つことに不安を感じ、悩んでいた大学四年生、大学院生の頃。そして、NPOの職員として子どもたちに向き合っている今。時間を経て、今なら先生が選択肢の一つになっていると言います。


ドロドロしているサナギ。ただ、羽化も近い。

最後に、池ちゃんのイマココの心境を伺った。

イマココの自分の状態を「サナギ一歩手前」と話す池ちゃん。

学校が楽しく、先生に恵まれ、先生を志した小学校、中学校。大学に入り枠が広がり、自分のしたい教育について考えてこと。大学院に入り、実践につながる場を求めてカタリバに関わったこと。そして職員として働いている今。

ドロドロしていたけれど、少しずつ固まってきていると言います。

固まって来ていて、蝶までもう少し。蝶へと羽化するために、必要な事として二つ話してくれました。

一つ目が自分を受け入れること。

元々、できない部分に目がいく性格だという池ちゃん。7割できていても、できていない3割に目がいってしまうと言います。自分自身でも、インターンの人からも完璧主義と言われるそう。最近、その考えを少し変えてみようと思い、実際に変わってきていると言います。

「できていない3割は気になるけれど、できている7割をみてみること。自分いい感じじゃん、と言えることを大事にしてみようと思いました」

もう一つ、感情を味わい切ること。

できていないことに目が行ってしまう性分で、今までは、イライラをして、直ぐに何とかしようと思っていた、と話します。

今はその考えも少し変わり、感情を味わい切ることを大切にしていると言います。

「イライラを何とかしようとするのではなく、まずは受け取れる、出し切る。今までは、イライラしている自分も嫌だったのですけれど、自分を認めても良い時期になっているのかなと思っています。」

自分を認めること、感情を味わい切ること。それを続けた先に、池ちゃんが、蝶に羽化する瞬間は近い。そして、羽化した蝶は、高く遠くまで、羽ばたくでしょう。

*お話を聞いて

学校が好きで、先生が好きで、先生を目指して、でもその過程で様々に笑い、悩み、挑み、そして、イマココとして、NPO職員という形で子どもに向かっている池ちゃん。

実は、僕自身、池ちゃんの務めるアダチベースを、一回見学させてもらったことがあります。

居場所として、学び場として、子どもたちが思い思いに過ごしている様子を見て、素敵な場所だな、とジーンとしたことを覚えています。

インタビュー中、終始感じる、身に纏う、あたたかくて、やさしい雰囲気。そして、真っ直ぐに、子どもに向き合っている姿勢は、僕がかつて感じていて、忘れかけていた「先生」という感覚を抱きました。

「どんな環境でも楽しむ」

自分の今いる環境が「なんか違う」「しんどい」と思った時、そこで向き合い、やり遂げるのか、別の場所に行くのか。

「可能性が縛られていた」と自身の過去を振り返って語る、千川さん。
でも今は、「ワクワクしている・楽しい」と話します。

自分、そして他の人の「環境」に対する想い、そして、葛藤しながらも「環境」を楽しむことを忘れない、千川さんのイマココとは。


ワクワクしている 楽しい

楽しいと思える要素は3つあって、まず、仕事がめちゃくちゃ楽しいことです。

楽しいとか幸せだなってとか比較しなければ分からないと思うんですけれど、周りと比べると恵まれている環境かなって。数字や件数が追うのが好きで、自分の強みを活かせる仕事につけたなって思います。

2つ目はBOOXみたいな、同じ想いを持った人で集まれる場があること。SHOT(学生の頃活動していた、キャリア支援の団体)と近しいんですけれど、仕事と違って利害関係がないじゃないですか、そういう想いを共有できる関係で、社会人になってもこういう繋がりって大事だなって。

三つ目は、家族との仲みたいなのが、ちょっと良好になってきたこと。1ヶ月ちょっと住む場所も少し離れていて、良い距離感になっています。

前は縛られていた感があって、抜け出せない感じで、色々意見を言われることがストレスだったりしました。ただ、離れることによって、大事にできたというか、1週間に一度は帰ってご飯を食べて・・みたいな、逆に会いたくなっています。


転々としたアルバイトと、その中で出会った新聞営業

自分の強みを活かせる仕事につけた、という千川さん。ただ、学生の頃は、自分に合っていることが分からず、苦悩していたと言います。

学生の頃、メディアの運営、ライター、他にもテレアポとかのインターンをやっていたんですけれど、上手くいかなくて…あんまり考えるのが好きではなく、PDCAを回すのが苦手で、とにかく行動をしていくタイプなのかなと思うんです。

アルバイトも、カフェやオムライス屋さん、不動産の展示場、色々したけれど、全部向いてなかったです。全部、不器用みたいな。ものを覚えられなくて、要領よくできなくて・・

ただ、お客さん、特におじさんからは気に入られて、石鹸とか、株券みたいな商品券みたいなのをもらっていました(笑)

その中で、唯一楽しかったと思えるのは、新聞の営業の仕事でした。各家庭に訪問して新聞の営業をする仕事で、周りは男の子や30代や大学生とか年齢の高い人ばっかりだったんですけれど・・・楽しくて、向いていたのかなって。行動した分が成果として出るのが合っていたのかもしれません。


もう逃げたくない

アルバイトを転々としていた千川さん。逆に大学の時に所属していたサークルでは「逃げない」ことを貫いていました。

1年の冬からテニスサークルの渉外みたいなのをしていました。他の大学と一緒に大会を開くみたいなのをしていたりしたんですけれど、めちゃくちゃブラックでした(笑)

年5回大会があって、他にも、会員のテニス技術の向上のための講習会を年12回やっていたりしていました。200万とかかかるんですよ。コート代高くて。それを、全部人力で人集めてエントリーしてもらって、年会費集めてペイするとかして・・

後は、大きい大会だと運営する人が必要で、ただ20人しかいないのに、一ヶ月半とかでメンバー回して・・・

半端ないですよね(笑)こんなに大変でも、給与はでないんですよ(笑)

やってしまったからには、やらなければいけない、みたいな使命感がありました。後、40年ぐらい続いている連盟で伝統みたいなのもあって。結果、2年ぐらいやっていました。

やっている時は、どんな理不尽なことでも頑張る、みたいな気持ちでした。一個上はみんなフェードアウトしていたけれど・・最終的に200万ぐらい赤字出て、ヤバい、みたいな・・・

ただ、運営同士で結束感が生まれて、「やらねば」みたいな感じで・・
引き継ぎ合宿というその業務からとき放たれる合宿が年末にあるのですけれど、「やっと終わった」という感じでみんなボロ泣きでした。今でも2ヶ月に一回ぐらい、その人たちと飲んだりしています。

辛くても逃げなかったのは、自分の中で、「環境に左右されない」「置かれた場所で頑張る」みたいなことを思っていたからかもしれません。

今まで、アルバイトは辞めすぎて、変えすぎて、逃げてきていました。結果、信頼とかも失ったりもして、だから、もう逃げない、という気持ちでいたんだと思います。

テニスサークルの仲間たちと

自分が欲しかった第3の場所を作りたい

上手くいかず転々としていたアルバイト。対照的に、逃げずに頑張ったテニスサークル 。好きや楽しさを感じた新聞の営業。様々な経験を経た、千川さんの根底にある想いは何なのでしょうか。

自分自身も「これやってみたいな」とか割と好奇心が強いなと思って、それが実現できる自分でいたいなって。

イライラしちゃうことがあったり、昔の自分とかみたいに、どうせこうだからとか思って、自分で殻に閉じこもって、やりたいのにやらないことってあると思うんです。そういう人をなくしていけると良いなと思って。

だからこそ、まずは自分が楽しまなくてはなと思っています。今までこうだったけれども、こうしたよとか、伝えることでひとりでも多くの人が自分でこんなことしてみたい。他責にしないで自分自身がやりたいことを成し遂げていくようなことを続けられる人でいたいなと思っています。

自分自身、親によって結構狭められている感があって。
カタリバをやっていて思ったのは親に包丁を向けられた子がいたりとか、、逃げられないじゃないですか。学校と家しかなくて、友達にも言えなくて、すごい衝撃的というか、救ってあげたいというか、でも思いようによって変えられるかもしれないなと。

サードプレイスというか、本屋もそうですけれど、子どもとか来られる場を作りたい。自分が子どもだったらそういう場が欲しかった。子どもの頃が辛いけれど、今が辛くないのは、きっと第三の場、家族以外の場があるからなんだと思うんです。

だから今幸せなんじゃないかなって思って。そういう場がないと幸せじゃない人がいるのであれば、そういう場を作りたいなって思っています。

千川さんが社外で仲間と取り組んでいる図書館を作るプロジェクト「BOOX」。第1回目のイベントの様子。

ジレンマや矛盾を抱えながら、進む

普段は、新卒学生の人材紹介の仕事をしている千川さん。教員養成大学に在籍をしていて、必然と教育に触れる機会があった。教育に向き合った大学時代と今の想い、仕事への繋がりとは。

大学の頃、子どもの虐待みたいなのを防止するゼミに入ったり、母子家庭の教育に興味を持って勉強していました。ただ、どんな教育がしたいのかが分からなくて、学童のバイトしたり、Foraやカタリバに行ったりする中で、一対多ではなく、一対一の方が良いのかなって思いました。

周りが教員志望なので、就活しなかったり、動き出しも遅かったので、自分で調べて色々動いていました。

ただ、教育とか、子どもに対してこれだけ価値貢献したかとか、これでどうなったのかが分からないなと思ってしまいました。ゴールが欲しいのかもしれないです。ここまでやったら終わりだよ、とか・・・

教育実習とかも行ったのですが、自分のした教育で、どうなったのかが分からなかったり、よかったねと言われても嬉しくなかったり・・
ただ、仕事でNPSの10を取ると嬉しかったりするんですけれど(笑)。数値でないと信用できないのかもしれないです。

今話していて思ったのは、今の仕事をしていて、ジレンマや矛盾もあるのかなと。学生のやりたいことを叶えてあげたいと思う一方で、今の仕事はそれを潰す仕事でもあるんです。
やりたいだけだと受からない。そこには適性とかもあったりする。

自分の中で意味付けをしているのかもしれないです。やりたいことをやったところで活躍できないとか、諦めちゃっているというか、

それも、自分のモットーが「どんな環境でも楽しむ」だから、楽しんじゃっているのかもしれません。後は、もう逃げたくない、そんな想いから来ているのかもしれないです。


*話を聞いて

家庭環境、転々としたアルバイト、楽しかった新聞営業、やり抜いたテニスサークル、そして今の仕事の環境、とサードプレイス作り。

お話の中で、自分、そして、他の人への「環境」に対する想いが見え隠れしました。まずは、どんな環境でも自分が楽しむこと。暖かな笑顔の中に、芯の強さを感じました。


(最後に、千川さんのパーソナルな部分を少しだけ)

*千川さんが取り組んでいるプロジェクト

「BOOX」

「本と出会い、人と出会い、そして自分と出会う」をコンセプトに、様々な本や人と出会って、話せる、サードプレイスとしての図書館の設立を目指しています。

様々な業界・業種の社会人や大学生で活動中。
現在、イベント参加者、関わって頂けるメンバー募集中です!

BOOX第一回イベント『図書館論争』参加者

・コンセプトページはこちら

・4/14(日)開催イベント『ブックマーケット』※参加者募集中!
イベントページはこちら


*千川さんの好きな場所


かもめブックス(神楽坂)

(https://www.facebook.com/
 ouraidou.kamomebooks/)

自分の本音と向き合うことが自信につながる

「自分の本音と向き合うこと」


言葉で書くと簡単な気がしますが、実際にそれを貫いて生きていくことは簡単ではないと、就職活動をしたり、実際に働いた経験がある方は、何となくでも、感じるかもしれません。


3月24日に開催予定の「大学を卒業しても、今熱中している『何か』からは卒業したくない!」の企画者の稲垣綾子さん(いなあや)。
苦しみながらも、自分と向き合い、行動をしていく、いなあやのイマココとは、そしてどういう想いで企画に至っているのでしょうか。

本音でできなかった就職活動

私は新卒の就活を自分と向き合いきれないまま終えてしまいました。

2017年の2月、私が大学3年生の終わりを迎えようとしていたときです。
この時期は、目前に迫る就活に焦りと不安を感じ、色んな社会人に相談をしていた時期です。

「真面目で温厚そうだから、大手のほうがいいよ」
「人材とかよりメーカーのほうが合ってるよ」
「競争社会だと蹴落とされちゃいそうだから、ベンチャーは向いてないよ」

これらは私が出会った就活アドバイザーの人たちに言われた言葉です。
彼らからそう思われたのは事実だし、特に彼らが悪意を持ってその言葉発してないのは重々承知です。

ですが焦っていた私は「彼らの言葉通りにしないと内定が取れないんだ」と信じ込んでしまい、就活を「自分が入れそうな会社」に絞ることにしました。

「やりたいこと」という自分のwillよりも、「できるであろうこと」というcanを優先しました。結果、内定が1つ出たときにそれを承諾し、就活を終わらせました。

本音を言うとその時は「もうこれ以上就活を続けたくない!」という想いが強かったです。しかし卒業と就職が近づくにつれ、不安が押し寄せてきました。

「本当にこのままでいいんだっけ?」
「自分の本当の気持ちに嘘をついてない?」

心の片隅でそう思いつつも、卒業間際の予定はパンパン。卒業旅行や友達との遊びを全力で楽しみ、最後の学生生活を終えました。


ーー結果、私は新卒で入社した会社を2か月で辞めることになりました。

入社した後、「やっぱり私のやりたいことに正直になれていない!」と思い、思い切って決断しました。

キャリア教育団体で出会った「自分が本当にやりたいこと」

思い切って決断をした、いなあや。いなあやの「本当にやりたいこと」とは何で、その”原体験”とは何だったのでしょうか。それは大学時代に遡ります。


話が大学時代に戻りますが、私は就職活動を終えた大学4年の夏に、サードクラスというキャリア教育団体のメンターという活動に参画しました。

そこでは、3カ月のプログラムを通して受講生が自分自身と本気で向き合い、卒業時には「夢プレゼン」という形で、ひとりひとりがホールの舞台に立って、自分の夢を8分間でプレゼンテーションします。

夢プレゼンの様子。帽子を被っているのは演出です(笑)

メンターは1人1人と何回も面談したり、話し合いの場を設けながら、受講生が夢プレゼンを作り上げるためのサポートをします。

夢を語るために、自分と向き合うのは避けられません。自分の嫌いな側面を見つめなければいけません。

私が担当した受講生の中にも、「自分の嫌な面ばかり見えてしまうから夢プレゼンをやりたくない。」と言う子が何人もいました。

しかし最初はそう言っていた受講生たちも、受講生同士で話し合ったり、私と話し合う中で、夢プレゼンに対して前向きになっていきました。

本当の自分をさらけ出していいんだ
かっこ悪いと思っていた自分も、受け入れてもらえるんだ

そう思えたことで、彼らは変化していったんだと思います。

そして、夢プレゼン当日。

舞台には、自信を持って自分の夢・やりたいことを語る彼らの姿がありました。
その姿を見て私は、かっこ悪いことに、ワンワンと泣いてしまいました。
堂々とした彼らの姿は、ほかでもない私に自信を与えてくれました。

サードクラスのメンバー

長くなってしまいましたが、私は入社して数日で、この時の経験がフラッシュバックしてきました。

自分に自信を持てない人に、自信を与えたい
悩んでいる人に寄り添っていきたい

社会人になって、就職先とのミスマッチを感じたときに、これが自分のやりたいことだと痛感したのです。

そこからスイッチが入った私は、入社して3日で転職活動を始めました(笑)

そして、自分のビジョンにマッチしそうな会社から内定をもらったため、そこに2週間のスピード入社を決めました。5月末に退職し、6月にはその会社で働き始めました。

2社目で感じた理想と現実

ビジョンにマッチする会社を見つけて実際に働き始めた、いなあや。
しかし、最高にも見えたその環境で、そこに理想と現実を感じたと言います。


2社目は、塾を運営する教育ベンチャー企業でした。

社長やほかの社員さんがとても教育に熱い方々で、転職活動中の私にはとても魅力的に映りました。

私がキャリア教育団体での経験や、そこから考えた「自信を持てない人に、自信を与えたい」というビジョンを語ると、とても共感してくださって、私は「ここでなら私らしく働ける!」と確信をもちました。

しかし、私はこの会社で「働くということの現実」を知ります。

1つは「働き方」の点です。ベンチャー企業なこともあり、私にとってかなり働き方が過酷でした。最初は気合で乗り越えられたものの、1月半が経過したあたりから段々と辛さを感じるようになりました。

もう1つは「利益を上げなければいけない」というビジネスとしての当たり前に向き合うことでした。勤務時間の中の大半を営業活動に充てなければいけないことが、自分にとって正直辛かったのです。

考え方が甘かったのかもしれませんが、私は塾の中で生徒の進路相談や悩み相談にもっと時間を宛てたかったのに、ビラ配りや新規生徒との面談に時間を費やさなければいけないことに、私は強い違和感を感じました。

やりたいことができない」「働くのが辛い

そんな気持ちが自分を支配して、ショックで体調を崩し、私は2社目も2カ月半で辞めてしまいました。


自分と向き合った引きこもり・フリーター期間

2社目を辞めた後、いなあやは、悩んだ末に、「とある期間」を取ることにします。その期間が、いなあやに、大切なことに気づかせてくれたと言います。

2社目を辞めたあと、私は引きこもりになりました。

勇気をもって転職という決断をしたのに、何も成果を出せないまま辞めてしまった…そんな恥ずかしさから、外に出ることを極力拒むようになりました。

友人とも恥ずかしくて連絡が取れない、話すのは家族と彼氏のみ。
今の自分が無力で、どうしようもなくて、生きていても意味がないんじゃないかと思えました。

そんな期間を1か月ほど経て、私は自分に「自分と向き合う期間」が必要だと思いました。

時間に縛られない状態で仕事をして、空いている時間は人と会ったり、内省をしながら「自分がどうしたいのか」を考えよう。

そう思った私は、面接をして合格した塾とIT企業で既卒インターンとして働くことを決めました。

私はこの期間で、家族や彼氏をはじめとした近しい人ととにかく対話をしたり、ずっとお世話になっていた先輩に相談をしたり、2つの会社で働きながら感じたことを自分なりに深堀したりと、とにかく「自分は本当はどのように生きていきたいんだろう?」と考えました。

そして半年ほどのフリーター期間を経て、納得できる自分の軸を見つけ出しました。

1つ目は1度目の転職の時も考えていた
自分に自信を持てない人に、自信を与えたい」              


2つ目は塾で講師としてアルバイトをして感じた
人の成長を間近で見ていきたい

3つ目は「家族や大切な人との時間を確保できる環境で働きたい

4つ目は「1対1でのコミュニケーションを仕事にしたい

これらの軸を大切にしながら働けるな、と考えたアルバイト先の塾で塾講師として社員入社することを決めました。

長くなりましたが、私は社会人1年目の2018年度を、本当に悩みまくって過ごしてきました。家族にも大切な人にも心配をかけたし、早期退職した会社にも大きな迷惑を掛けました。

でも、自分と向き合ってきたこの1年があったからこそ、「塾講師として働く」という決断に納得しています。


卒業間際だからこそ、自分を見つめなおして自信をつけよう。

紆余曲折を経て、イマココの場にいる、いなあや。そのいなあやが、この企画をどう捉えているのか、そしてこれから社会に羽ばたく方に伝えたいこととは。


振り返ってみると、私は新卒の入社前と1度目の転職前に、大事なことが抜け落ちていたなと思います。

新卒の入社前は、「自分が本当にやりたいことってなんだっけ?」と考えること。私は就職前に、自分の決断を見直すことから目を背けていました。それが2か月のスピード退職に繋がりました。

転職の時は「どういうリスクがあるか?」を考えることです。
転職先はどんな働き方をするんだろう?ということを詳しく聞いたりすることをせずに入社を決めたことが、「理想と現実のギャップ」に苦しんだ原因の一つだと考えています。

今回のイベントでは、大学4年間の過去の振り返りから「自分が大事にしている価値観」を改めて明確にして、4月からの自分の未来を考えるワークをします。

去年の自分が受けていたら、未来は変わっていたかもしれないなと思うくらいの内容です(笑)

今回参加される学生の皆さんは、社会人生活が目前に迫った今、どんな気持ちで過ごしていますか?

納得した選択をしてワクワクしている方もいれば、そうでない方もいるかもしれません。この1年悩みに悩んだ私は、この時期に一度、自分にとって大事なものを見つめ直すことが、これからの社会人生活を豊かなものにすると心から思ってます。

だから、参加される方みなさんが納得して社会人生活を迎えられるよう、背中をそっと押せるようなイベントにしてみせます。

運営メンバーとコンテンツを全力で作成中です!


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*イベント詳細

日時:3/24(日)14時〜17時

場所:上北沢付近(参加される方に詳細の場所をお伝え致します)

参加費:500円

対象:2018年度、大学、大学院を卒業されるご予定の方

申し込み:下記のフォームに必要事項をご記載ください。
https://goo.gl/forms/a0p5tZ8pWGb7tzot2